Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

帰りたいけど帰れな~い🎵

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 人に施すとは、それに思いやることも気分のいいことだ。やっとこの歳になってそれが判るようになってきた。時すでに遅しかもしれない。

 

 孫たちにと愛媛県産の箱詰めミカンを各戸に贈ったところ、早速、子どもや嫁さんから感謝のメールが届いた。しかも孫が喜んでほうばっている写真付きだ。大したことではないがこんなに反響があるとは思いもしなかった。ならばこの先ジャンジャン違うものを贈ろうかとも思っている。

 

 さて、この処、地元山梨県ゆかりの方々から連絡や電話が入るようになった。集中する時はこんなものかと不思議な気分だ。当方の安否を伺う電話から自身が病気になったとか、年端もいかない娘さんが癌に罹って右乳房を全摘したとか・・様々な情報が寄せられた。

 

 こちらも何か情報をとも思うのだが、生憎、話題もなーもなーい。当方が再発、再入院でもすれば・・と、あらぬ期待があるのではないかとも思ってしまう。

 

 でも口々に言うのは、異口同音に「山梨にけえってこうし・・」や「一緒にえべし」という。甲府に家屋敷がない訳でもないので、帰ろうとすればいつでも帰ることができる。電気ガス水道代も毎月結構な(基本)料金を払っているのですぐにでも棲める状態になっている。

 

 市役所からも「家ごと御貸しになったらどうか?」との提案を受けている。十分な家賃収入も得られるので一石二鳥だという。でも、他人が住むというのはどうも気乗りがしない。折しも宅の家人は「ずーと家に帰って来なくていい(別居でもいい)から、独りで山梨に移住したら」とも押しの強い言葉を浴びせられている。「亭主元気で留守がいい」とでも云わんばかりだ。

 

 人の棲まない家や往来のない家は寒々しい。なんとなく気乗りがしない。ならばいっそのこと肉親か親戚の家にでもしばし居候でもしようかと真剣に考えたこともある。そんななか、ふと、千昌夫の「夕焼け雲」の歌詞が頭を過る。

 

 無灯火の自転車に乗りながら、家路を急ぐ。この歌を口づさみながら「荒川橋」の袂でポリ公に職質されたことが思い出される。かれこれあれから40年。思い出とはそんなものかもしれない。もうあの時代は帰ってこない「帰りたいけど、帰れない🎵・・🎶」