とうとう犬HKまでもが、ストリートピアノならぬ「駅ピアノ」の番組編成をし始めた。ウケを狙っての二番煎じだ。こうしたことが模倣やコピーを生む。犯罪とて同じことで東海道新幹線、小田急、京王線や九州新幹線の車内で起きた凶悪事件、どれも、これも身勝手な模倣犯の悪行ばかりだ。
一つの仕事、作品や完成品の中には、そこまでたどり着くだけの本人の努力や周囲の協力がいる。出来上がった作品を見てはフムフムと頷く人も多いいが、そこに辿り着くまでの鍛錬、練習、工夫やメイキングにこそ素晴らしさがある。
感情移入しない出来合いのもの、心のないモノは、単なる同調性や見た目の形の素晴らしさだけが浮かび上がるだけだ。ここに感銘は受けないし感動も起きない。
目利き、眼力とはそういうものだ。その筋の人が見ればそのことが良く分る。大体、齢を重ねればそうしたことは自然と身に着くものだが、当方のように馬のクソのように年を取っただけの人間は目が効かないどころか、本物の美しさや輝きが一向に判らない。
出来上がったモノに感心するより、そこまでのプロセスやメイキングが理解できなければ納得づくで、人々の共感は生まれない。人の感情、感性はそういう所から産まれる。単に言葉を重ねただけ、文を綴っただけでは人の心は揺さぶれない。
直情、直観や直訳がいかに危ういかやっとそのことが判り始めた。「時すでに遅し、甲州屋徳兵衛!、残念無念」。能ある豚はへそ隠す。