Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

越えられぬ壁を天は与えない

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 「産まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか🎵」。「何もしないで、生きていくならそれはたやすいことだけど・・・♪」このフレーズを知っている方は相当ご年配の方だ。

 

 この歌は知る人ぞ知る天知茂の「昭和ブルース」だ。天知は明智小五郎がハマリ役だったが1985年7月、クモ膜下出血のため54歳の若さで他界した。

 

 当方なりに歌詞を解釈すると、「産まれた時が悪いは」すべてが時代のせいでありここにいる自分には何一つ選択できることはなかったと運命論を先ず先に持っておいてその後に自己の責任で、判断ミスや失敗を犯しそれは「俺(自分自身)が悪いのか」と持ってくる。

 

 そして最後に「何もしないで・・・」と反省しだす。何もしなくて努力もしないでじっとしていれば嵐がいつか頭の上をすり抜けていく。だから無茶をせず時の流れを待つ。そうした方が無用な汗もかかず気楽に暮らせることを示唆している。

 

 でも、よくよく考えてみるとそんなことに対する自省の念が湧いてくる。「これではイカン!」と自分に言い聞かせているようにも聞こえて来る。

 

 もう一度、冒頭の歌詞を噛みしめててみよう。自分自身に都合が悪いこと、上手くいかないこと、障害が多いこと、不幸や不都合が続くことなど、これら全てを時代や環境、それに親のせいや家庭、教育など自分自身の責任ではないと言い出すようになった。まして自分の性格までをも自分が作り上げたものではないと言い出すようになった。

 

 こうした風潮が最近目立つようになった。「親ガチャ」、「上司ガチャ」、「部下ガチャ」や「パートナーズガチャ」、「自然災害」や「事件・事故」などなど、すべてが「ガチャづくし」。これら全てを「ガチャ」一言で片づけるには無理がある。

 

 これは時代の貧困なのかそれとも心の貧しさなのか、現状放棄や格差・偏見の拡大なのか。

 

 その背景ある原因は良く分らないが、自身が自立し自助努力をしながら対応力が増せば眼の前にある壁は必ず乗り越えられる。