Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「身心脱落」

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 今日のタイトルは、永平寺大本山とする曹同宗の開祖、道元禅師の「正法眼蔵」の中にある「只管打座(しかんたざ)」坐禅を組み、ひたすら自身を見つめ問いかけること)と並ぶ教えのひとつの「身心脱落」を御紹介させて頂く。

 

 「身心脱落「身心」とは身体と心をさし、「脱落」とはぬけ殻なる事、つまり身体と心が蛻の殻になり切ることをいう。

 

 何故、今日はこんなお話をしたかというと、亡父は分家であり本家筋(日蓮宗)のお墓には入れなかった。そこで生前、お墓(当家の菩提寺)を新たに手当てし曹洞宗のお寺の檀徒となった。それで父は住職の薦めもあって大本山永平寺にも何度か足を運んだ。

 

 曹洞宗宗学では、坐禅している状態、これがまさに「身心脱落」であるとしている。これを坐禅時脱落」というらしい。ただひたすらに目を開けて坐禅を組み続ける。諄いが、自分は自分であってのも自分のモノではないことを悟るまで組み続ける。毎日坐禅を組むが10時間も組む時もあれば三日三晩組み続ける時もある。この域にまで達するには少なくとも3、4年はかかるようで、その後に全国各地の寺に赴く。

 

 自分が自分であることに対して多くの人は勘違いしているのだという。だから我欲が前に出て自分自身を見失うことになる。今の自分は自分であって自分ではないことを悟るべきだという。それを超えるにはまず己を捨てることが肝要とか。周りにあるすべてのものに執着、固執するほど自分自身が見えなくなるようだ。

 

 人は都合よく自分自身を自分だと思い込むことによって、自分の考えとは違う現実の矛盾や不幸を怨んだり嫉だりもする。これこそが我欲や執着心であって、深みに嵌ればハマるほど生き地獄から抜け出せなくなってしまうのだ。

 

 だからこそ、身体も心も裸にすることで、「この道」(どなたかの有名人ブログ名もこれを使っている)の先が見えてくると法主は説く。そしてやがて真の己が判るようになる。道元禅師は、邪念を捨てそこまで到達するため修行の場が、この山門の内(寺)にあり、山門の外にあるこの世だとも説いている。

 

 かの米国アップルの元CEOステーブ・ジョブも永平寺に何回も足を運び坐禅を組み、曹洞宗に傾倒していたことを多くの方は知らない。世界的に見てもこの禅宗を通じて医者、学者、経営トップなど名の通った方々も同じようなことをなさっている。その一方で政治家を中心に某党派に属する議員、芸能人やハイソな方々ほど、何故か「新興宗教」に手を染めたがる。

 

 最後に余計なことを申したようですので、ハイ!本日の「徳兵衛の宗教のお時間」はこれにて修了でございます。

 

 当方めったに外出しないので、最近こんなつまらぬお話しばかりでスマンことです!