頑固おやじやいやらしい皮肉なサラリーマン、特に男性は、「ミスを認めたら自分の負け、感謝したら自分の地位が下がる」と考えるタイプが多い。とくにプライドが高い人間ほどそれが邪魔して、謝罪や感謝の言葉が発せない。
質が悪いことに、こうした事が繰返されると、慢性化する。するとタイミングを外すことになり、余計に「ごめんなさい」や「ありがとう」が云えなくなる。
「総合的に判断して・・」、「あらゆる手段や対策をとって万全を期す」、「全力で」、「総力を挙げて・・」、「という風に聴いております(伝聞・所詮他人ごと)」などと、医療現場では人の生き死にが、かっている時にこうした言葉を多用、乱発、羅列する。だから言葉に重みがなく、相手に心に響かない。しかもワクチンは裏の手を使えばいくらでも「ごぼう抜き接種」ができる現実。
85歳の当方の知り合いも裏の手を使ってご夫婦で、GW中に見事に一回目のワクチン接種完了。政治家、役人上りの得意技のコネクション、裏掛けや裏道にメンが通じればいくらでも融通も聞く。それをわざわざ、SNSで流す無神経さ!オマエハソコマデして「生きたいのか!」
そのうえ、具体性(策)やプロセスやデータが示されないものだから、周囲は煙に巻かれてしまう。信用もなければ信頼もなくなり人心は離れていくばかりだ。
素直に「ごめんなさい」と「ありがとう」を口にするタイミングを逃してしまうと、以降こうした言葉を中々口に出せないようになる。こうした人は社会人としても失格と言っていい。
たった一言、「すみませんでした」で済む話がどんどん悪い方向に進んでしまって、「ありがとう」の言葉もなければ、引くに引けなくなり、相互に誤解や誤謬を生み、どんどん孤立化も進む。
関西人や大阪人がよく「すみません(すんまへんな)」を口にする。これはこれで言葉が軽すぎてどうかなと思うこともある。心の奥底では自分が悪いことは本人が一番理解している、人々が互いに支えあって生きていることもわかっているはずだ。
このジジイがこの歳になって、棺桶に片足をツッコミながら、何をいまさらとも思うのだが、改めて心のある言葉の大切さを知る。