今年の米マスターズゴルフは、明徳義塾高校、東北福祉大学出身の「松山英樹」がこの大会を制した。最終ラウンドの15、16番で突然ショットが乱れ、池ポチャしてスコアを崩した時にはTVでさえ観ていられなかった。
それにしてもアメフトに並ぶメジャー中のゴルフというメジャースポーツで優勝したのは意義深い。それもアジア系住民に対する米国内でのヘイト・クライムが横行する折のことだ。
明徳義塾は高知、東北福祉大は仙台(彼の住民票は未だここにある)。コロナ感染率の高い愛媛の「松山(英樹の生地)」市がこれに優勝に便乗して浮かれるのは如何なものか?なんでもござれの対応ではコロナ禍解決の糸口さえ見えてこない。反面、松山の後輩の早藤将太がキャデイを勤め、優勝した最終ホールで脱帽してグリーンに向かって深々と一礼した映像が米国内や世界でも絶賛されている。
もともとスポーツには激しく体を使う動きのスポーツと、技術やとりわけメンタリテイーを重視するスポーツの二種類がある。どちらにも優劣はつけ難いが、根底にあるのは「不動心」だ。
この不動心という言葉、もともとの意味の由来は、平常心で、いつも通りで動かない心をさす。何か起きるたびにバタバタするようではイカンのだ。
心を広くまっすぐにして、緊張しすぎず、かといって少しもたるまず、心が偏らないように真ん中に置いて、つねに流動自在な心の状態を保つ、もっと言えば、変化し続けることに柔軟に対応する心構えが必要だ。そしてその変化をいつまでも引きづらないことだ。
つまり「不動心」とは、「決して乱れぬ心」のことではなく、「乱れ続けない心」のことなのだ。
追って、「お不動さん」とは「不動明王」のことで密教特有の尊格。内証といって内心の決意を表わす仏様。禅僧が修行中であっても、いろんな妄想が湧き出て、自分自身のやる気を無くすらしい。腐らず、弱らず、諦めずということだ。
人間は肉体よりも精神的に、自分自身を追い込むタイプが圧倒的に多い。ここで一番重要なことが、ゆるぎない精神力、すなわち不動のこころを極めていく事こそが、釈迦が悟りを開いた修行の実践だ。松山英樹のプレーをみてこの域に達するまで彼は10年の歳月を費やした。