Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「ちゃかぽん」ポン!

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   天才バカボンのことをご存知でしょうか。いま流行のCM。愛之助のクドイくらいの嫌味の「しぇー!」に出川のバカボンのパパはいつ見ても鼻に憑く。でもこれって、赤塚不二夫大先生の立派な漫画作品。そこには主張と思想があって「それでいいのだlっ~!」となんでもかんでも、浮世離れして現実や今の人のあり方を肯定してくれている。

 

    そんな腹巻きのバカボンのパパも大人気だった。確かバカボンの弟の名前は「ハジメちゃん」だったことを昨日のことのように憶えている。竹ぼうきをもった掃除好きの「れれっ」のおじさん、すぐに短銃を発砲する警察官、何かそこに「ちゃかぽん」の原点があるようだ。

 

    さて、この「チャカポン」というあだ名は、これまで大河ドラマでおなじみの井伊直弼のことを指す。一介の地主から地大名に上り詰め、幕府に登用されるも1860年3月24日に桜田門外の変で命を落とした。

 

   これは、一種の見せしめ、逆賊と称され開国派の一派として斉昭率いる水戸藩士らに企てられたものだ。

 

    彼(井伊)はもともと、武家の出に非ず百姓だ。繰り返しになるが井伊家の長男としての嫡男として、そして武士として特別扱いされてきたらしい。将来的には、政治力も突破力も何も期待できない器、資質だったらしい。いうまでもなく木偶の棒!!それでも家老は家老。

 

    ご当人もそのことを十分に覚悟していたようで、今でいうコモリ、自身でも表舞台に立つことはないと思っていたらしく、専ら学問や趣味に走っていた。茶道、和歌や鼓にも打ち込む。そんな姿を見て、周囲の人々は、それを「茶・歌・鼓」と呼んだそうで、鼓は「ポン」という音を立てますから、「チャカポン」といった仇名をつけられていた。

 

    まあ、前述のとおり、最終的には押し出されるかたちで形で、幕府で大老にまでのぼりつめ、見せしめに水戸藩の浪士に襲われて一命を落とした。

 

    それまで「尊王攘夷」を旨とする水戸浪士の襲撃計画の背景はさまざあったようだが直弼は、いつも通り平然と供揃えで然として行列を整えて屋敷を出た。ところが江戸城を前にして、まるで謀ったかのように「暗殺(惨殺)」された。

 

   この、「チャカポン」はご当人は何を意にして、何を企図として、何を生きざまとしていたのか今となっては分からい。どこでもこうした生贄は必要だ。

 

   器にはみ出ると、達観してこうした趣に酔い。時として人の道を窮めてような「世捨て人」にもなっていたようだ。先週の大河ドラマをみてそんなことを思った。

 

 深谷下仁田から佐久、上田に藍染めを仕入れたいったグンマーの渋沢栄一の県境峠越えの軌跡が気にかかる。  どのルートを歩んだかは分からないが民権運動で有名な秩父にも得意先があったと聞く。先週の一場面の画像は当方が独りJR横川駅から登った「裏妙義山」の山頂だと思ったのだが・・・。気のせいか?