Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

喪失、亡失に自失(大震災を振り返って)

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 一度味わった強烈な喪失感と亡失感はいつまで経っても戻らない。終わりなき震災、原発事故やコロナ感染とて同じこと。東日本大震災から10年が経った、いくら懸命に努力しても当時以前の姿には二度と戻れない。我が身とて震災に関わった者としてそのことは十分承知している。

 

 そこには住宅や町並もない。そして、家族親族や同僚らを失った空地は、背丈だけが高い雑草だらけが生えるただの野っぱら。そこに縦横に走る片側三車線もある広域道路には行き交う車も少ない、これが人類にとって震災に対する「復興」、「復旧」なのかと人と政治の無力さを痛感する。

 

 新たに建造された高々と無機質な防波堤や防潮堤だけが聳える。この防波堤、基盤もない家屋も街も戻っていな堤内の何を守ろうとしているのだろうか?湾岸沿いに目いっぱいに連なる防潮堤建設の意味が未だに解らない。税金だけを使って、箱ものやダム、護岸工事など当局や役所にできるのは、知恵も工夫もないからここらあたりが限界なのかもしれない。

 

 こうして整備された地元出身のお世話になったとある金融機関の代表に話を訊くと。「防潮堤や防波堤の上を走る道路は道路に上がるとことろと下る処が限られていて、うっかりすると目的地よりはるかに遠い場所で降りなければいけないことになる」そうだ。まさに高速道路のICの出入りと同じだ。

 

 ただ、補償金や支援金などを頂戴して「被災成り金」も多いと聞く。その一方で避難先での被災した子供たちやコロナ感染した家族に対するイジメと同じく差別や偏見は、いまだに凄まじいものがあると聞く。

 

 いかに何もかもを失ようとも、それでも、外洋に出た鮭は5年後に、被災後もなお遡上して産まれた河を目指す。どこかで、区切り、ケジメをつけないとは頭の中では理解しているものの、ちゃぶ台を囲んで家族で過ごしたあの頃は、遠い思い出、二度とは帰れない。

 

 当方もこの歳になっても何時か生まれ故郷に帰れること信じている。だからこそ、生家を取り壊して、更地にして処分するなどこの徳兵衛の存命している間には考えられない。幼き時代から結婚するまで過ごした実家には思い出がたくさん詰まっている。そんなあの時代を忘れられないのだから処分は、当方が鬼籍に入ったあとに息子にお任せしたい。

 

 それに突然訪れる不幸にに対して一向に動かない、動けない、決められない当局や政治屋の言動に辟易して唖然とする。数字は勝手に作り変えられ、二の句は「専門家の意見を聞いてから・・」とのお手あげ状態、無為にこの一年が過ぎただけだ。こうした連中にこそ厄災が襲えば良かろうにと・・・

 

  どうも最近のブログネタ、ネガテイブで過去を振り返るようなセンチでノスタルジックな話題が多い。正直なところ、当方、心身ともに自失状態に陥っているのかもしれない。