昔ばかりを懐かしむ。昨日から、何故かしら妙に幼き頃が頭に浮かぶ。それは、「アカ」をもとめて、電気工事や電線工事の後を追っては、「赤」を求めて、一日中歩いたことを思い出す。
当時は、鉛や鉄よりも「アカ」の方が重宝がられ、電線の端切れでも風呂がまでも結構なカネになった!ガキは電線工事を追い、大人は風呂がまを追った。赤とは銅線や銅品のことだ。
それでも、それを町の古物商に持ち込むと一定の景気循環が成り立った。オラ方も含め、子供たちは電線や電気工事を追い。銅はそれほど金になった。結構な小遣い稼ぎだった。なぜこんなことを今思い出すのかは分からない。
今思えば、大したことではないが、その昔、家族で行った銭湯の裏風呂がまが「どう」であったかは定かはではないが、男湯と女湯に分かれて湯上りにバンダイの前の冷蔵からフルーツ―牛乳やこひー牛乳を飲んだことが妙に懐かしい。
巣ごもりが長引くと「ロク」なことを考えない。南田洋子!