Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

懐古(ノスタルジア)

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 夏のことは遊びだったのか?今宵は、呑んだ暮れて、この曲で陽水の「夏の終わりに」と「少年時代」に屯うでいこう。

 

 廃車バスカラオケには、何度も通ったが、娘は「少年時代」をよく唄った。コロナで帰省出来なかったので今にて再観賞!

 

 富山県の山なみ、海岸、四季折々の風景が美しいし懐かしい!とのコメントもある。

 

 とりわけ、「少年時代」は複雑な子供社会を反映したものだが、大人社会にも通じることだ。普段は意地悪くしていた級友が、イザ別れとなると、とうとう本音を吐く、日常のイジメや圧力に屈していたようなシーンに最後は救われる。

 

 今宵は、ここに「少年時代」を引用しておきたい。 井上陽水には何度か会ったことがあるが、みなさんが想像する通り、堂々とした存在感を醸し出しつつもちょっと不思議な人である。彼の居る部屋には独特の空気感があリ、それはそのまま作品へも繋がる。稀にみる美声の持ち主であり、男の色気が香る。でも作品は、時に大胆なほどシュールな切り口だったりする。

 

 当然、聴き始めは「?」が浮かぶ。でも聴き終えた時、歌がモノゴトの真理をズドンと衝いたものであることに気づき、さっきまでの「?」が「!」に変わる。

 

  何となく聞いていると引っかからないけど、改めて読めば離れ業のような歌詞が多い。例えば「リバーサイド・ホテル」という有名なヒット曲なら、冒頭の“誰も知らない夜明け”という表現からしてそうだ。

 

 いずれこの歌もぜひ紹介したいが、今回は「少年時代」である。おそらく、陽水作品のなかで最も幅広い層から愛されているのがこの曲ではなかろうか。

 

 ヒネリの効いた陽水作品の中にあって、まっすぐで誰でも口ずさみたくなる作風だ。その佇まいは唱歌のようでもある。もちろん、細かく見ていくと、そこには彼ならではのコトバのトリックも隠れているのだが…。そもそも、この歌はどのようにして生まれたのだろうか。