Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

苦しみと痛みの向こうに

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 先日の「ラジオ深夜便」で、「ポッポや」で有名な小説家浅田次郎が二日連続でインタビューを受けていた。その番組のなかで、結核を患って亡くなった、俳人正岡子規の末期や最期を語るトークも披露された。その一つがタイトルの言葉どうり。それに続いて「つらさ」と「喜び」の感覚が入り混じる様子を淡々と語っていた。

 

 ここが凌げば、ここを耐えればという気持ちで、困難や病気に立ち向かう。辛辣だが氏は、状態が重くなればなるほど、辛さと痛みは絶え間なく押し寄せるという。

 

    今日は少し良いようだ。今は痛みが引いて気が休まるといったようなことは全くなく、その痛みは間隙を置かず想像を絶するものだという。だからこそ、そうした痛みに対しては無理して耐える必要はなく、大声で痛みを訴え、嗚咽し、泣いてもいいのだという。

 

 「じっと、痛みに耐えて・・・母は、父は、そして親戚や友人」は、我慢強い人で最後の最期まで病気や苦難と懸命に闘った。とかいったように、死を美化することが儘あるが「そんなことはない!」と云って、氏は憚らなかった。

 

 これを自らの大病体験を通して話していた。この歳になると、当方の周りにもがんで亡くなった親戚も知り合いも大勢る。どの「仏さん」のお顔は誰もが口を空き、見たことのないような苦悶に満ちた表情をしていた。体は極端に痩せ細り、掌の甲や腕には多数の点滴痕が黒紫に残り、そうした内出血の様子に壮絶な闘病生活を想像し、言葉を失ったことが何度もあった。

 

 でも、いつの世でも別れはいつかは来る。普段の体調不良や腹痛だの頭痛などは「別離」の前には、大したことでもないと氏はいう。そして、それを越えなければ死の淵にはたどり着けないという。

 

 だからこそ、痛みと辛さの対岸にある「喜び」と「日常」を大切にし、「探求心」を持ちる続け、「創造力」を大切にすべきだとも指摘していた。「越えられるような痛みや辛さだけではそう簡単には人は死なない」。