Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

なんじゃこれ!コラージュかい?

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 美術とデザインの違いか、それとも便所の落書きと街中に描かれたいたずら書きとの違いなのか。

 

     さて、芸術と落書きの境界線は何処にあるのか。バンクシーが描いたものが一種の風刺 画として世界中で評価される反面、東京オリンピックの佐野パクリ・エンブレムなぞは、日本のデザイナー界の品位と創造性が疑われ、最終的に世界から総スカンを喰らった。

 

     あの頃あたりから東京オリンピックにはケチが付き始め、猪瀬、舛添らのくだらぬ野郎(都知事)がひっかき回した。挙句に森元首相が新国立競技場原案を「まるで、お墓のようだ」とも評して世間から顰蹙をかった。

 

 「IT」を「イッツ」と表したり、この方の相変わらず「ボケ」には定評がある。本当に早稲田大学を出たのか甚だ疑問だ。まあ、不肖の息子の体たらくを見て観りゃ「この親にしてこの子あり」そのもんだわな。鳩、菅にして森にしても彼らが歴代の首相とは、お国としては余りに情けない

 

 さて、今日のテーマ「コラージュ(仏:collage)」とは何ぞや?絵画の技法の1つのようで、仏」語の「糊付け」や「貼り付け(磔獄門)」を意味する言葉だそうだ。

 

     通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることのようだ。簡単に言えば、チグハグ、バラバラ、コンセプトやデザインのねらいや主張が何処にあるのかが、さっぱり分からん陳(健一)。

 

    で、今日は何んでこんなお話をしたかというと、2025年開催の大阪万博ロゴマークというか、エンブレムというか、なんか中途半端で共感をも覚えないし、評価も出来ない。まるで、東京五輪ボランテイアの姿にチョゴリのユニフォーム姿を誂えたマスゾエと同じようにも見える。

 

    どう見ても徳兵衛にとっては、内視鏡による大腸検査がモチーフになっているようにしか見えない。東京オリンピックの当初エンブレムと同じく、一度、ケチがつくとその大会やイベントが成功したタメシがない。

 

    その例からすれば、大阪万博も余り期待はできない。いっそ、「2025『大阪』万博」の看板を武士は情けども「2025『大坂』万博」に塗り替えたらどうだろうか・・・?