Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「知事の通信簿」とやらの、レーテイング(5-4)

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     お断り:この記事も含め以下は文春オンライン引用記事(御厨貴:著)ですので、ご留意ください。

 

「あなたは政治が分かっていない」

  私自身も体験があります。3・11のあと、「東日本大震災復興構想会議」の議長代理を務めていた私は、被災地を回って、各地の再建プランを語る多くの地元の政治家たちと対話していました。

 

 印象的だったのは、どの再建プランにも「復興すれば、新しく小学校が出来て、病院が出来て、道路が広くなって……」と夢物語のような成長プランが書いてあったこと。しかし、さすがに非現実的とも思えるようなプランもあって、疑問を投げかけると、ある被災地の首長がボソリとこうつぶやいたのです。

 

   「こんなこと出来るとは誰も思っていない。でも、現実に合ったプランにしようといえば、私は袋だたきにあって次の選挙で落ちる。出来ないとわかっていても、出来ると思って向かう共同幻想が必要なんだ。あなたは政治が分かっていない」

 

 もちろん復興プランは、実際には現実に合わせざるを得ませんでしたが。

 

 このように「終わり」が見えなくなったことで、目標を掲げても空々しさばかりが漂い、具体的なことが何も進まなくなってしまったのが、いまの日本の政治なのです。

 

 目標を掲げられなくなった政治が陥る最悪のシナリオは、政治家たちが「コロナは退治できないから、まずは横に置いておこう」「それより、分かりやすい別のことに目を向けよう」と、刹那的な行動に突き進むことです。もうすでに、与党も野党も中央政界ではそれが起こり始めています。

 

  「安倍首相の任期が来年の秋までだが、オリンピックはどうするんだ」「選挙はいつやるんだ、それまでに勢力を集めよう」「内閣を改造して支持率を上げよう」と、中央から聞こえてくるのは、そんな矮小な話ばかり。その結果、あれほど国民に「大勢で集まるな」と言っておきながら、派閥のパーティーは平然と開かれ国の最高幹部が参加するような状態になっているのです。

 

   「なぜ地方には救いがあるのか?」

 こうした壊滅的な中央に対して、私は、混乱は続いているとは言っても地方に救いがあると思っています。

 

 地方の知事たちが何もしなければ、目の前で人が倒れ、店が閉まり、街の活気は日増しに失われていきます。現場を抱えているだけに、何かをやらなければならないという使命感や焦燥感が、中央とは比べものになりません。

 

 もしかしたら、こうした「現実」を抱える地方の首長たちの存在があることが、敗戦まで誰も止められずに突き進んだ太平洋戦争との違いで、光明となりえるのです。

 

    地方は「終わり」が見えないからと言って、現実に目をつぶるわけにもいかない。住民のニーズをどれだけ把握し、地域の実情に合わせて問題を極小化できるか。

 

  本気で知事たちがコロナ問題に向き合うことで、これまで見えてこなかった「うちの県の課題はここにある」という発見もあると思います。ひとつひとつ課題をクリアしていけば、これまでは語られるばかりだった「地方分権」が一気に進むかもしれません。