つい先月、仙台在住の本家筋の従弟の「てっちゃん(当方より3歳上・これで本家3人の従弟は全て亡くなってしまった)」に続いて、走り仲間の新潟(下越)出身のI御大が旅立った。昨年末肺に癌が見つかり、ステージはⅣだというのに、御大は手術、入院、抗がん剤治療をすべく老体に鞭打ちながら必死に耐えた。20年ほど前に奥方様を失くされ、独り身で余生を過ごされ、ここまでなんとか持ち堪えて来た。
I御大が亡くなった翌日に娘さんから突然、当方の携帯電話に連絡が入った。2日に容態が急変、4日の午後3時13分帰らぬ人となった。当方動揺し、取り乱し電話口で思い切り嗚咽し取り乱した。やはり、高齢になればなるほど重篤化、重症化は加速度的に容体が悪化する。奇しくも御大が入院・治療中にも何度かお会いしていたから、病状はよく存じ上げていた。最期に一度はお会いしたかったが、コロナ蔓延の時節柄、葬儀もお別れも執り行われず直葬と相成った。ご遺体は7日に荼毘に付されご家族の面会も叶わず無言の帰宅となった。
死亡後にご遺体のPCR検査を実施したが「陰性」との判定。それでも病院は判定結果の不確実性を根拠に仏様のご帰宅を許さず、大事を取って火葬場への直葬となったのだ。歳をとると妙に涙腺が弱くなり、ちょっとしたことでも涙もろくなる。笑いは少なくなり、感情移入は激しく体力も勢いも衰え始めた当方。相次ぐ訃報に次は自分の番かと身構えた次第。
今年の正月に「祝い酒」をご持参したのが最後の出会い。会の駅伝大会に塩原湯けむりマラソン大会への参加と、走るにも日常生活にも手抜きをしない方だった。高校時代はインターハイや国体の陸上選手として新潟県内では結構有名な方だったと聞く。
従弟の「てっちゃん」の訃報も、今回のご不幸もそうだが、慶事と違って事故やご不幸は、突然何の前触れもなくやってくる。それでも前触れはあった。
今回は不思議と亡くなる2~3日前から「お袋」がやけに当方の夢枕に立つった。二度あることも三度はある、目が醒めて思うのだが、これほど続くと、「ソチラにお呼びなのかよ」とも改めて思った。だから、もうしばらくは当分「お袋」は夢にご登場して、周りにご不幸が続いて欲しくないと思うのは、この世に居残る当方の身勝手なのだろうか。
田植えの季節を迎え、何事もなかったように何処からともなく遠くから聞こえるカエルの大合唱が淋しさを一層募らせる。・・・合掌