渡辺真知子の「現在、過去、未来」も、「素敵なタイミング」や「運の良さ」とは一体何のか。生れながらにして、悲運や幸運に一喜一憂している人の世だが、全ては「宿命」や「お仕組み」で、仏さまの掌のうえで喜び、悲しみ、慈しみ、嘆き、苦しみ、憐み、そして楽しまされているのかも知れない。
こんな事態になったから云うのも憚れるが、わざわざこんな時代に命を授かり、奇しくも今生(現世)、現実の惨劇と悲劇に遭遇する。
会社を辞めた時期が数年、多少なりとも遅れ(ズレ)ていれば、これまで過去世に先(咲)様との出会いもなかった。やがて結婚し孫が産まれる。この時期が多少でもズレていれば当方の家族すら、時代に翻弄され事態はもっと深刻だったのに違っただろう。これこそ自身でも宿命は選べず、天(命)のみが個の魂を選び、禍福を選択しているのに違いない。
家に籠ってやることがないせいか、リバイバルのTVドラマ「仁・JIN」を視聴しながら、そんなことがふと頭を過った。長男が福岡から東京に転勤になったのは、当方ががんの手術をした翌年。術前夜わざわざ博多から上京して10時間にも及ぶ当方の手術にも立ち会ってくれた。
翌春、転勤で東京に戻って本社勤務となった長男。埼玉の社宅に住み込んだが、昨年、思い切って多額の住宅ローンを組み、当方の拙宅近くに戸建の居を構えた。その前に娘も近隣に引っ越して来てくれ、賃貸マンションから新たにマンションを今春購入した。
わざわざ、こんな時期にとは思うが、こうした運命やタイミングは計って諮れるものでもない。そのうえ長女には第二子が宿っている。これこそ「授かりもの」と如何ともしがたい。TV電話で孫と話せ入学や入園に祝儀とお祝いの品を贈ると、人並にみな本当に喜んでくれる。
女房の両親も、当方の両親も5年、10年以上も前に人並みに葬儀をして、墓を建立し、穏やかに肉親を送った。いま頃、この両親らが介護や施設に入居していれば気を揉んで「チャンコロ」感染に、気が狂うほど困惑していたのに違いない。
でも、今度はいよいよ、当方ら夫婦の番か。一通り「人並み」に浮き世の義理を果たし、親戚にも恥を晒すこともなかった。アリガタヤ、ご加護にありがたやと毎朝、仏壇と神棚に陰膳と御神酒を供(奉)え掌を合せる。仏壇の位牌に向かい「今日も何とか存命でした」と感謝の意を表す。そして神棚に向かっては「祓い給え、清めた給へ、護り給え、幸拝給へ」と祝詞を挙げるのが日課だ。
明日も、来世も「穏やかな一日が迎えられることを、願うばかりでアリンス(野風)」。