Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

命の選別

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   ある日、平々凡々にに暮らしていた、老夫婦のうち爺さんが突然、家の中で屍になった。以下の引用は、イタリアで発生した事態をCNNが報道しているので事態の深刻さを冒頭でご紹介しておきたい。 

夫が感染で死亡の妻、隔離で遺体と自宅にこもる 夫が新型コロナウイルスで死亡した妻が感染阻止の隔離措置のため死後の処置が出来ず、アパート内に遺体と共に蟄居を強いられる苦難にこのほど遭遇した。

 

行政責任者は取材に、遺体と共に妻が閉じ込められた状態にあることを認め、隔離措置の手続きにより誰も遺体に近づけないでいると説明した。

 

妻の苦境は伊のメディアが報じて関心を集めもした。地元のテレビ局は夫の死去の報に接したばかりだという隣人とのビデオ会見も報道。隣人は「最も大事なことは夫の遺体と共に取り残されている妻への配慮」と主張し、「誰も彼女を助けたり慰めたりすることが出来ない」と主張した。

 

同テレビ局はまた、夫妻の遺族は絶望的な気持ちを抱いており、妻は自宅のバルコニーから手助けを求めて泣き叫んでいたとも伝えた。

   

    さて、ここから私見に戻る。ウイルス、細菌は人類の歴史の前に存在していたが、彼らは宿主が居なければウィルスそのものが生き抜くことが出来ない。アビガン、人工呼吸器、気管挿管、病床数などの増大でも奴らの脅威は抑えられない。

 

   世の驕り、人口爆発、行き過ぎた資本主義、近代化、自動化に対する人類への反撃、猛省、AKB48をはじめとする小便臭いロリコンタレントや追っかけの等の芸能・文化に対する仕打ちでもある。今回のウイルス爆発は、驕ったこれまでの人間社会への警鐘どころか、ある意味人間社会に蔓延った内なる敵との戦争なのかもしれない。

 

 当方、幼少の砌、結核寄生虫も人間社会と共存していた。そのためにBCG、療養所や虫下し、それに検便なども小学校の頃から盛んに行われていた。こうしたことが細菌やウイルスと共存できた証左であって、それによって抵抗力も抗体も出来ていたのかも知れない。逆に言えば、過度な潔癖、清潔、除菌、臭いや汚れ、汚染に対する抵抗感が、自浄能力を低下させてしまった。

 

    治療、ワクチン、持病忌避やブレイクダウン対策に驕った政治や行政は余りにも無力だ。今回の感染拡大で人類に対する淘汰の歩みが加速し始め、そうした現実を前に現代医学、医療も感染学も成す術がない。この先、社会は整理され、やがて世界は浄化していくだろう。

 

  本日午前中の受検、午後からの受診結果は明日以降にお知らせするが死神に憑依されたかどうかは、2週間後(その間は完全なる家庭内別居)にその結果が出る。ヘタレの徳兵衛でさえ、この恐怖は未だかつて経験したことがない。その前にがん再発や転移があったとしても、入院して治療さえ受けられない