Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

「やばくねぇ!」

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 この言葉、多くの意味を持つあらゆる場面で使えるから勝手がいい。オヤジが使えば周りにウケル。若者が使えば場面、場面で平気でコミュニケーションが成り立つから不思議な言葉だ。まあ、食品でいえばさしずめ汎用化学調味料の「味の素」か、青森県の「スタミナ源」といった処だろう。

 

   「マジ」は江戸時代、「ビビる」は平安時代から使われたらしい。その一方で、「ヤバイ」は、江戸時代から、いまの祭りの夜店のように弓矢を用いて的に当てる遊び場があったようだ。そこを「矢場(ヤバ)い」と呼んでいたらしく、これが「やばくねえ!」の語源になったようだ。

 

    やばいは、「やば」(危ないこと、不都合なこと)の形容しているのは一般的だが、矢場では露店の裏で、慰安婦ごとく裏稼業で「売春宿」もやっていたとも聞く。まあ、あまり綺麗ごとでは済まされない「汚い言葉」ようだ。さて、冷静に「ヤバい」を詳細に解析してみると、凄い、最高に最低、綺麗に不細工、面白くてもツマラズ、危うくとも格好いい。など、など、深い意味があることがよく分かる。

 

   そのほかにも、楽しい、嬉しくや悲しい場面でも盛んに使われるようだ。感情のあり様をいまの若者たちはこの「やばくねえ!!」の一言で片づけてしまう。ガキのボキャ不足と云えばそれまでだが、日本の国語教育は何処に行ったのか?使い勝手がいいだけに、その一言ひと言の重みが薄らぎ、行間や言葉がもつ意味深さが伝わらないように思えてならない。まあ、それはポケベルやショートメールの一言で意思を伝えようとする背景があるのだが・・・。

 

    だったら、小説や純文学作品の表象もなく、芥川賞直木賞さえも価値がない。終始このキャラ言葉で済んでしまう。古くから使われてきた「いとをかし」、「この上なし」、「かくもアヤウシ」や「これぞ美味なり」といった言葉の響きや奥行き楽しめたものでもない。

 

    この「やばくねえ!」のほか、「よく言う、よッ!」などの言葉も同じで、若きも老いもこうした一言で相手の感情や同情を封印してしまうのが現実。

 

   人心の機微や繊細さを、こうしたひと言で片づけてしまう現代社会。誰もが口にする「やばくねえ!」この世界。「言葉と衣服の乱れは心の乱れ、不良の始まり!」とは、当方が小学3年時に穴小の担任内田先生によく言われた。あれから65年以上この歳になって先輩教師が若手教師を犯罪行為同様にイジメ倒す状況をみて当時のウチダ先生はは何と・・・?

 

   後日の(事件現場となった須磨の小学校)校長会見も、市の教育委員会も「給食メニューにカレーは載せない」、「家庭科実習室の児童の立ち入りを禁止して改修工事を実施する」など、聖職たる教職員や委員が平然と公言している。この認識のズレに「マジでやばくねえ!」だ。このフレーズがこれほど社会の心を痛ませるとは皮肉な話だ。重ね重ねこれって(内田)明石先生だったらどうなの?と、存命なら今すぐにでも「その思い」をお聞きしに上がりたい。

 

    さて、さて、それはともかく、昨夜のW杯ラグビー日本対南アの準々決勝戦の心は、そんな不条理をよそに「明日のココロ!」に綴りたい。乞う!ご期待!!