ここまで生きてくれば「祝着至極」といきたいところだが、然に非らズ、この徳兵衛、まだ、まだ、タイトルのように、今生に未練多羅多羅の「シュウチャクシゴク」なのだ。
これまでいろんな人と出会い、何度もの別れを経験してきた。その記録と記憶として時々のアイテムを記念品として今でも大切にしている。でも、これとてこの世のお土産にと黄泉の国には持っていけない。だからそうしたモノや過去への執着や後悔も必要はない。
ということは、この世は全てのモノも出来事も「かりそめ」の世界だということを最近強く感じるようになった。
お噺は横道に逸れるが、この「かりそめ」。渡辺淳一の小説にもあった。また少年隊の「仮面舞踏会」の歌詞の中にも「かりそめの一夜(輪舞?)を・・♪」と、このフレーズが出てくる。最近、歳を取ったせいかあまりコダワリも固執もなくなった。でも、ふと樹木希林の講演DVD「ある日の遺言」が発売されるとなると、急いで買い求めたりもする。そんな自分を見ているとまだ、まだ、この世に未練ダラダラ、生活グダグダ、汗ダクダク執着至極、これって、なんだかなあ?とも思ってしまう。
先日4月18日(木)の当ブログで公開した「タイトル:そんな簡単に」の文中後半で「そこに芽が出てやがて花や実が成るなることは十分に考えられる・・」と記したが、これに関連してあるツイッターで「肝臓転移」の画像を目にした時は、DVDで希林が述べていた「食べるのも日常、死ぬのも日常・・」をそう簡単には受け入れ難かった。
これを見た途端、この世が「かりそめ」だとはとても達観できる筈もなかった。どなた様から「これじゃ!徳兵衛さんよ、まだまだ未熟爺(児)だな!!」とお叱りを受けるかもしれない。
だから、まだ、モノに執着し、過去にコダワルうちは、お迎えは来ないような気がしている。医者にも身内にも見放され、痛みや苦しみから解放されたときにやっと心に平和と安寧が訪れて旅立てるのだろう。今日は紙幅があるので、家宝ではないが、ここまでの拙者のこだわりアイテムのほんのごく一部を今上の置き土産としてここにご紹介しておく。
家内曰く「遺品は燃えるものがいい。不燃のお手製の陶器、手作りのガラス細工やルームランナーに工具と道具箱・・・後で処分に困るからね。でも、ガサばらない換金性の高い貴金属だけは残しておいてね(記念硬貨、切手の類は当方が知らぬ間に処分されていたのを先日知った)!」だとヨ。「ナニっ!」気持ちは分からんでもないが、この徳兵衛が存命のうちは、「これから先、お宝に指一本ふれさせねぇ~ぞ!」これこそが命の源。
小出義雄が傘寿(80歳)にして逝った。徳兵衛それまであと十数年。合掌