従業員の自殺率や精神疾患が多くなると社員等に対して「メンタル・チェック」を使用者側に求めこれを義務化する。また、働き方改革もそうだが有給休暇の取得率が悪く、世界に比べて取得水準が低いとなると有給休暇の取得を促進させるために、残業時間の上限制と共にこれを法制化する。
その一方で人手不足が加速している、何たるこの皮肉な現象。それに典型的におかしいと思うのが「幼児虐待」だ。東京都議会は先に乳幼児や子供に対する虐待に関して条例を定めたが、これに対する罰則規定はない。
役所のおっ達しに限らず、法律や条例で定めれば何でもかんでもが解決するとでも思っているのが、お役所、議員先生や議会の発想。これでお仕事をしているかのようにみせるものだから始末に悪い。
学校での「いじめ問題」もそうだが、何年、何十年経っても、規則や指導要領でいくら縛ってみても一向に事態は改善しないばかりか、ますます「いじめ」の実態は悪質、陰湿化している。文科省、教育委員会、教育現場の体質が変わらない限り、こうした対処療法では問題の核心は解決しない。
ところで、みなさんは家庭内での「躾」と「虐待」の違いを明確に答えられるだろうか?そしてその線引きをどこに求めるのか。例えば子供に対する「お尻、ペンペン!」も虐待として良いのだろうか。ペンペンは躾で、頭を小突くのは虐待と定義してよいのだろうか。
どうも、世の中全体がことを仕損じないように、立法化や法制化を急ぐあまり、これらが空文化しているように思えてならない。実態を把握し、導入の効果や検証をしないままに形だけを作ったところで社会や組織は混乱するばかりだ。
その昔、お上やご当局が当然臨店検査に来て、「要領や規定がなくマニュアルもないのはけしからん!」と、こっぴどく叱られたことがあった。それを受け何日も徹夜をしながら規程、規定、要領、手順書やマニュアルを徹底的に整備した。ところが翌年、違う検査官が来店して「要領やマニュアルがこれほどまでに多く、これら全てを従業員が理解、把握し、全社的にこれらが反映されワーク(機能)しているとは到底思えない」と指摘された。
以降、毎年、毎年マニュアルは増えたが、仕事ができる人間は圧倒的に少なくなった。さらに取るに足らないパワハラやセクハラも増えるに増えた。見かけ、見せかけ、上っツラだけでは成果や実績の上がる仕事はできない。いまや、日本企業のみならずあらゆる組織が抱える根深い問題だ。全てが弱体、脆弱化する原因はここにある。