Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

親の因果が子に報い

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    何をするにも体が動かなければ、何もできない。いくら口をきいても動くことが出来なければ口先だけの話。自らが動いてこその行動力、モゴ、モゴ、グチャ、グチャ、小声でコソコソ、自信がないのか、プライドがないのか?情けない限りである。

 

    なくて七癖、親の因果が子に報い・・・? その昔のとある会社の採用基準は、担当役員の思い込みもあって、片親の高卒の女子ばかりを採用した時代があった。当時は四大卒の採用は珍しく、専ら短大女子の主戦場だった。でもなぜか母子の家庭のアパート暮らしの実業高校卒の女子ばかりが採られていた。

 

    片親と言っても父子の女学生は採用しなかった。母娘は女性同士ということもあって生活の苦労を分かち、婦女子の生き方に対する懸命を評価してのことだったらしい。この思い込み、いささか如何なものかと思うのだが・・。一般論や人情論としては分かるのだが、十中八九これがハマるとは思わない。

 

    その担当役員の人事採用方針はその後も頑として変わらなかった。その理由が役員の幼児体験なのか、それまでの人生経験なのかは分からないが片親だからご立派な人とは限らないのは誰しも分かる話なのに・・。何故なら片親となった理由が死別なのか、離婚なのかによっても異なるし、離婚の理由が浮気なのか、DVなのか、経済問題なのかによってもその娘のその後の人格形成に大きく影響しているはずだからだ。

 

   得てして、自身の育った環境や過程は、自身が成人になったときに不思議にも繰り返される。具体的に言えば、離婚して母一人、娘一人で育った娘が幸せに結婚し子供(娘)が出来たとしても、やがてその夫婦は離婚しその娘も親と同様母子家庭になってしまうようなケースが余りにも多い。

 

   幸せな家庭に育ったからと言って、幸せになれる保証はないが不思議と不幸だけは連鎖し繰り返される。

 

(今日のおまけ)

 冒頭の「喋る前に体を動かせ!」。今日も夜明け前から2時間半かけて10㎞をウォーキングした。百の説教より体力だ。でなければ手術にも耐えられない。歩きながらツラツラ頭に浮かんだのが今日のブログの内容だ。

 

 一日寝込めば、三日分の筋量が落ちる。思う悩む前に、歩け、アルケ、走れ、ハシレ!!ここと、そこのふとっちょ!