Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

江戸の仇は長崎で

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    勤務していた会社の元役員から、先日連絡があった。よくよく話を聞いてみると、会社の役員を辞任してから、地域のカルチャー教室や都心の大学の市民講座まで受講した。それでも始めた頃は良かったが、一度講義が終了するとそれ以降やることがないという。

 

    現役時代の彼の生き方はしたたかで、剛腕ではなかったが策士だった。策に溺れることもなく役員退任慰労金をタンマリ貰って悠々自適と思いきやそうでもないらしい。淋しさのあまりか情報収集の一環なのか、現役役員の頃、連れ立った呑んだ部下や後輩と時折JR沿線で「○○会」と称して呑み会を催しているという。

 

   でも、流石に毎週呑んでいても、相変わらぬメンバーにどうやら飽きが来たようだ。その後のイベントは丹沢の「大山詣」や「歩いてゆく中山道」と称して、埼玉県内の中山道を何日かかけて踏破することも始めた。ただ、相変わらず参加する顔ブレはかわり映えしない。

 

   そこで、白羽の矢が立ったのが元直属の部下の当方である。お話の趣旨は、「社のOB会を立ち上げ組織的な活動をしてはどうか」との体の良いソフト・ミッションだった。どうやら、元会社の人事部や関係先に声掛けをしたが、回答は鳴かず飛ばずで、色よい返事がもらえず、どうやら現役時代に顔の広かった当方を指名してきたという訳だ。

 

   会社と云えどもOB会を組織的に立ち上げるとなると規則、会費や役員、それに運営方法などを具体的に取り決めなければならない。となると、会社本体も人事厚生面の観点からこれに止む無くこれに関与せざるを得ない。故に出元の姿勢もネガテイブだ。もっと裏を読もう!OBの皆さんと社員の全てが仲良し好よしでもなく現役時代に辛酸を舐めさせられた元社員や辞職に追い込まれた社員もいる。

 

   そうした背景があるが故に、仮にOB会が立ち上がっても「アイツが行くなら俺は出ない!」とか、「参加対象を限定してくれ!」「そもそも会社に未練はない!」などのワガママな声も挙がってくるだろう。

 

  それ以上にこの話の言いだしっぺは、だあ~れ!と訊かれて「元役員の○○さん」と答えたら、本人はお気づきではないだろうが、きっと皆さん全員ドン引きだろう。氏の本音は訃報の連絡網や自身を核(発起人)とするネットワーク作りなのか、それともご自身の葬儀の取り仕切りを執り行ってもらいたいのか、動機の真偽のほどは定かではない。でも、現役時代のしっぺ返し(K・Y)が来ていることを、当のご本人は全くお気付きになられていないらしい。

 

(今日のおまけ)
 昨日いってきました「胃カメラ」しかも眠れる寝台(セデーションによる胃検診)の老人。さてその状況を少しばかり・・・。

 

 連休中に実家の風呂のタイルの目地貼り(コーキング)作業の途中に充填剤を左足薬指に落とし、指全体が紫色に変色したのが、運のつき。昨日のセデーション前処置では血管の点滴用チューブは外れるは、点滴は落ちないなど、検査スタートから躓き、開始は18日午前10時から30分遅れ。厭な予感がした。麻酔から目が醒めハッキリ覚醒したのは昼12時半も回ったころ。
 
 処置室を後にしようとしたころ、看護師経由で主治医に呼び止められた。検査の結果について読影段階で、1週間後の病理検査の結果が出る前に伝えておきたいことがあるとのこと。

 

 淡々と話す女医に冷静さを保てたが、よくよく帰路の電車で話の内容を振り返れば、結構空恐ろしいことを聞いたような気がする。
 さて、この話の続きは、気分が落ち着いた頃に掲載することに・・・