Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

男が背広を捨てるとき

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 組織の中に埋没しているうちは、内部の景色、歪み、人となりが客観的に冷静に見られない。それが、一旦、退職すると次第にその風景が変わって見える。例えば、冷静に過去を振り返ってみると。いつも向こう岸にいて、何としても動かない人もいたし余計な言動で墓穴を掘る者もいた。

 

 入社当時、同期は20人以上いたが、本体で最後に残ったのは当方だけだった。でも、こちら側の岸に居た者すべてが、相互理解をしながら円滑に、迅速に仕事を進めてくれる協力者ばかりでもなかった。足の引っ張り合いで「これが仕事かよ!」と、思うようなパフォーマンスを挙げられなかった社員もいた。

 

 辞めた後に思うことは、人間は崖っぷちに立たされた時、その人の本当の器量と才能が芽吹くときかもしれないということだ。必死になれば、なった時こそ、結果より「今をどうすればいいか」を深く考えることを知った。

 

    家にも帰れず多忙に多忙を極めたある日、駅のホームの片隅で行き交う電車を見ながらぼんやり佇んでいた当方の姿を見た若手社員がかなり心配してくれたことも今となっては、懐かしい思い出だ。その時の仕事は後継の社員らが今でも守ってくれているそうだ。でも、当方が入社した当時のビルは退職後に取り壊され、今は隣接地に新本店ビルが建てられているという。

 

 誰でも、どんな社員でも、親と同じように上司も、役員も、取引先も選べない。40年も以上もの長い時間が凝縮されたとき、それまでの思い出が一瞬に吹き飛んだ。そして新たな一歩が始まることを覚悟した。同僚、部下、取引先、役員と会社付き合いをしてきた人は、退職時に名刺を整理したが数えただけでも2千人を下らなかった。

 

 ただ、そんな関係者のなかで、いまでもご昵懇に腹を割ってお付き合いできる方は片手にさえ余る。退職一年前から引き際を考えていたが、暑いさなか一日一日と減っていく夏用半そでワイシャツ、季節によって消えていく通勤スーツ。現役時代愛用した革靴もベルトもバッグもコートもネクタイもいま手元にはない。退職を機に現役時代の想い出と一緒に、思い切ってすべてを処分した。現役最後の出勤日、自宅に戻って最後のスーツを脱いだ時に家内から「長い間、お疲れさま」と言われた時は、涙がこみ上げ「ああ!」としか声が出せなかった。

 

    いま手元に残っているスーツは夏冬の礼服ぐらいだ。今当方専用のクローゼットはスキズキしている。ここが、当方のお好みのアイテムや衣類で埋まる日はまだやって来ない。

 

(今日のおまけ)
 退職する最終週にワイシャツを自宅近くのクリーニング店に持ち込んだ。当方「これで最後だよ!来週からは持ってこないから・・」、女性店長「会社辞めるの?」当方「もう着ることもないからね・・」女性店長「ワイシャツやスーツなんて着なくても大丈夫ですよ」「徳さんには、これから着るものがどんどん増えるから、辞めてもオシャレだけはしてよね・・」と。


   それが当方に対する餞(ハナムケ)の言葉だったのか?それともセールス・トークだったのかは今でも確認していない。