貴方はいつまでそのポジションに拘泥するのか?世情をみれば今さら申し上げるべくもないが、人間のオスは、誰彼となくなんと権力を欲しがり、そのうえ、ドン・ファンの如く女性にモテたがるのか。
その一方で、仕事一筋でほかの世界を知らない中高年のカタワのオスも困ったものだ。潰しが効かないことを自覚しようとしない。再雇用や再就職にしても。それまでのキャリアを活かせるものと妄想を抱いてしまうのがこうしたオスの習性。
つまり、長年染みついた経験や職場風土から脱却できないまま、いつまでも甘い儚い夢を追い続けてしまうのだ。ことあろう当方もその一人だった。
趣味でも、地域でもなんでもいいから仕事以外に興味を持たない世界の末路は悲劇だ。それは子供にとっても良くない。なぜなら、そうした仕事以外のお父さんの背中を見て子供たちは成長していくからだ。
当方も年金受給者となっては、自由になるおカネがないし、ボーナスもない。だから、風呂敷を拡げたような派手な生活もできないし、カネのかかる趣味も持てない。当方がマラソンを始めたのもジョギング・クラブに入っているのも、サイクリストになっているのも、山歩きをするのも、要は、なるべくカネを掛けずに楽しんでいることに他ならない。
他人にもたれかかっていては、本当の自由なぞ手に入らない。孤独になって孤立して、自立してこそ、ずっと夢見ていた本来の自由を手にすることが出来る。
(今日のおまけ)
40年以上も勤め上げて、退職した時に子供に初めて褒められた。どうやら、それは家庭を守り、子供たちを育て上げたことに対する礼賛ではなかった。
40年もの長きに亘って、一身専属が如く同じ会社で勤め上げたことに対して「浮気、転職や退職もせずよくもまあこれだけ長く・・・到底ぼくらの時代には考えられない」と褒めてくれたのだ。
でも、今だから本当のことを言おう。転職のチャンスは2、3回あった。しかも当時の給料の倍以上の破格の条件でだった。でもそのチャンスをモノにしなかった。それは、プロ野球選手のトレードのようなもので、あまい言葉に誘われて当初はいいかもしれないが選手生活を保障してくれるものでもなかったからだ。
それにハタと気づいて転職を見送った。聞こえはいいが、そんな勇気がなかったのが本音だ。