今から、数年前会社を退職した年に、新入社員が入社してきた。それなりのポジションについていた当方、歓迎会で締めの挨拶をと幹事から依頼された。
いつ振られてもいいように原稿だけは用意していた。結局、取り越し苦労で当方にその番は廻ってこなかったものの、ある日、パソコンのデータを整理していたら当時の原稿が出て来た。陽の目をみない挨拶文にお情けを掛けて本日、ここにご披露したい。読み返してみると手前味噌だが、なかなか上手いことを云おうとしていた。在職中の当時が偲ばれる。
結婚式の両家代表や親戚の法事での親族代表挨拶も何回か経験したが、どうも人前で挨拶するのは苦手で、原稿を丸暗記するが一度として上手く喋れたことはない。
そのうえ、自分自身でも何を喋ったのか覚えていないから始末に悪い。酔いの勢いか緊張のせいかは判らないが気がつけば帰宅してしっかり床についいているのが常。後で出席者に聞いてみると無難な内容だったという。それさえ覚えていないのは酒呑みの戯言とお許し願いたい。
以下は「石の上にも三年」と題した新入社員歓迎会での挨拶原稿。
「三日、三月、三年と申しますが、「石の上にも三年」は、日本型雇用特有の終身雇用、年功序列制が背景にあります。
保守的に捉えれば、住居や仕事をコロコロ変えず、三年くらいはジッと我慢が出来なければ、経歴に穴が開き以降の生活が安定しないと考える方もいらっしゃるでしょう。 その一方で、変化の激しい今の時代、そんなスタンスで三年も過ごしたら、頭が錆びついて凝り固まった人間になってしまうことにもなりかねません。例えは悪いかも知れませんが、ブラック企業と言われる職場に三年も勤められるでしょうか・・。
向こう三年以内に情況を見定め、素早く行動し、その間にあらゆる経験を積むといったことが大切だと私は思います。
ご縁があって、○○君は当会に入社されました。仕事もそうですがこれから三年間このシステム業務部で多くの経験を積まれ、指導は指導として仰ぎながら周囲にあげへつらうことなく果敢に挑戦して新たな自分を発見していただくことを切に願っております。 クドイようですが、長々と続けることが「石の上にも三年」ではなく、やり抜く力を身につけ、当社はもとより、ひいては社会に役に立てるような自分磨きをすることこそが「石の上にも三年」の本来の意味でだと私は思います。
中締めとしては多少長くなりましたが、○○君の今後にますますのご発展とここにお集まりの皆様方のご健勝を祈念しまして、それでは一本締めとさせていただきます・・・・。」
(今日のおまけ)
一期一会、人生には予期していないことが次々と起こる。特に不幸や事故は突然やってくる。こうした「不慮」をどうすればその現実を「受容」できるのかこの二つの例を見てもその解はいまだ見つからない。
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