Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

求道者

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   極(きょく、きわ、ごく)と云うこともあるが、つくづく今回のヒラマサ五輪の選手たちにエールを送りたい。言葉の意味は、「これ以上ないこと、至高、 最果て」である。

 

 自然科学の分野では「両極」というように指向性・方向性をもつもの。あるいは正反対のものの偏りを意味する。

 

    さて、この「きわみ」。想像を絶する練習や研鑽を積んでも、なお、その上を目指す。そんな時に、ふっと力が抜け穏やかに「楽しむ」ことが出来て、記録が出るという。自分自身ではこれまでそんな経験もなかったが、究極に力が抜けた時に本当の本物の力がでる。これこそが本物の「ジ・ツ・リョ・ク!」

 

    羽生、宇野や将棋の藤井など、最近の若者のストイックさには驚かされる。とりわけ、スノボHPの平野歩夢は、惜しくも銀メダルに甘んじたが、その努力・足跡には圧倒される。以下は産経新聞の引用。

 

 「自分を追い詰めてまでやらなきゃいけないものを楽しさ以上に感じていた」

 命の危険がつきまとう高難度の技を究めようとする日々に「全く楽しくない」とこぼしたこともある。米国では若者を中心に手付かずの雪山を自由に滑る映像制作が盛んだ。競技性を究めるのか、娯楽性を追うのか。平野は技を追い続けた。

 

 実家は新潟県スケートボード場。4歳からスノーボードにも乗った。父の英功さんは大きなエアマット施設を置き、空中姿勢や踏み切りを習得できる環境を整えた。父と2人、実家と雪山の往復で技を磨いてきたからこそ、競技者としての「プライドもある」。

 

 求道者の一念は私生活まで変えた。1日1食に徹し、飲み物は水だけ。着地の衝撃に耐えるため、時間さえあれば腹筋を鍛えた。彫刻刀で刻みを入れたような腹部は「しんどい思いをしないと勝てない」という禁欲的な春秋の産物だ。

 

 一昨年、未成年選手の飲酒や大麻使用が発覚し、疑いの目は平野らにも向けられた。「自分まで関係あるかのように見られ、すごく悔しかった」。一緒にするな、という怒りのこもった言葉が印象に深い。

 

 昨年3月の国際大会では技の着地に失敗、左膝靱帯や肝臓を損傷したが、着地点は見失わなかった。試合で誰も決めたことのない4回転の連続技を今年1月、プロ最高峰の賞金大会「冬季Xゲーム」で初めて成功させて優勝。この日も同じ技に挑み、五輪史上初めて決めてみせた。

 

 4年前より世界のレベルは上がり、「今まで一番の大会だった。今できる範囲では全力でやれた」。同じ銀ではない。汗と辛酸に磨かれた分、重くまぶしい。(岡野祐己:記)

 

(今日のおまけ)

  我が人生を振り返っても、こんな極みを感じたことは、当方、今まで生きてきて一度たりともこんな経験をしたことがない。今回のオリンピック、さまざまな経験と夢を追う姿を見て、つくづく選手たちは「凄い!!」と素直にそう思えるようになってきた。これも歳のせいかもしれない。