Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

夜行性動物

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  どこかの御仁と同じで、夕方ベロベロバーで、夜中にネットサーフィンやブログをアップ。この誰にも邪魔されない深夜のこのひと時は、夜行性動物の当方としては孤独を味わえる至福の時間。でも、何気ない深夜番組に心を動かされることも少なくない。

 

 今から23年前の1月17日早朝、阪神・淡路大震災が関西広域を襲った。2011年3月11には東北地方で東日本大震災発生し津波が丸ごと日本を呑みこみ、翌日長男が新横浜で結婚式を挙げ、家族・親戚一同大変な思いをしながら挙式に臨んだ。

 

  そして、忘れもしない2014年2月14日。極寒の山梨で雪と寒さの怖さを知った。豪雪も噴火も予兆なくいきなりやってきて、何食わぬ顔で人の命をいともたやすく奪う。

 

 さて1月23日(火)の深夜の犬HK番組に見いってしまった。タイトル「遺児」だったと記憶している。これには流石に考えさせられた。当時、400人以上の子供が親を亡くし、遺児となったが、それから23年の時間が流れて成人となった子供らは、未だに自問自答を繰り返している。

 

  何故、自分だけが生き残ったのか?姉や両親の代わりに何故自分が生き残ったのか?会社を辞め引きこもりとなった日々が綴られたケースもあった。そんな、ある日、その男性は意を決し、震災地の神戸に向かう。刻まれた両親や姉さんの墓標プレートを指でなぞる。自らの役割を問いながら、現在を生きる自分を今も追い続けている。

 

  つまらぬ生き方をする人間もいれば、遊びや事故で容易に命を落とす子供もいる。誰が選ばれ、誰がその子の人生にストップを掛けるのか。仏の掌に踊らされる無常(情)こそが、生きるということなのか?毎年、この時期は何となく気分が落ち込んでしまう。

 

   6,434人が亡くなった阪神・淡路大震災。0歳から高校生までもが親を失い、遺児となった。四半世紀に近い歳月の間に、遺児の多くは亡くした親の年齢に達し、家庭をもつ人も子供を持つ家族も大勢いる。大人になって子を持つ親となって、彼らは一体何を感じ、どう生きようとしているのか、それは、本人の心の中にしかない。

 

  それぞれの遺児たちが心に秘めた苦悩と覚悟をまざまざと見せつけられたような気がした。人が一生を生き抜くということはそう生易しいものではないと改めて思い知らされた。

 

(今日のおまけ)

    なんか歳に似合わずセンチメンタルな気分。ここのところ「花は咲く」プロジェクトの歌詞がぐるぐると頭を回っていて仕方がない。

 

 「傷ついて 傷つけて 報われず泣いたりして 、今はただ 愛おしい あの日々を思い出す。誰かの想いが見える 誰かと結ばれている 。誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に、花は~♪ 花は~♪ 花は咲く~~!! いつか生まれる君に。花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう」。この「は」、「に」と「の」に「だろう」がヤケに心に響いて仕方がない。