Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

I・MY・ME・MINE

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  これ英語の授業で教わりましたよね、今日はこのお話。英語ははっきりした言語だからイエスとノーがハッキリしている。そこへ行くと日本語は情緒があるからモノをぼやかしていう。政治家、役人や経営者が使う「まことに遺憾」もそうだ。杞憂なのかそれとも謝罪なのか他人事のように聞こえるのは当方だけか?便利と言えば便利な言語だ。

 

   それに「ありがとう」これも使い方によっては、優しく感謝の念を表現しているが、なんでもカンデモ語尾に「ありがとう」を付けたがる人がいる。それまでに築いた人間関係を壊したくないのだろうか。一面ではこの言葉は謝罪に聞こえる。そう「申し訳けない」の意味にもとれるのだ。「~してくれてありがとう」は、「~させお手数をお掛けしごめんなさい(申し訳けございません)」が真意である。これを例に挙げるまでもなく何となく誤魔化されてしまう。

 

 こういう言語を多用する人たちは、日本語の脆弱性を武器にしている。挙句に「行間を読めよ!!(KY:雰囲気感じてよ!空気読んでよ)」とくる。そのほかにも「だいたい」とか「ぐらい」や「~の方」もその手だ。これはもう曖昧ではなく完全に事実をぼやかししている風にも取れる。「だいたい1年ぐらい前からだったと思います」は「1年前からだと思います」と言えば、率直に相手に伝わる。

 

 「NOと言える(言えない)日本(人)」(石原慎太郎・著)によく書かれている。「検討させていただきます」「を含めて考慮させていただきます」もその類だ。でも先の総選挙で氏は立憲民主党の枝野代表を「かつてない有能な人間だ」と褒めちぎった。何をか云わんかやだ。対抗する希望の「大年増の厚化粧」と表した「緑のオバサン」への仇討の構図だ。どうもこういうことばかり見せつけられると本当の真実がみえてこなくなる。

 

(今日のおまけ)

    旧聞に属するが、横浜市立大学付属市民総合医療センターで1月に70代の男性患者にCT検査を行い膵臓(すいぞう)がんの疑いを発見したのに、院内の連携不足で5カ月間放置され、患者が今月亡くなったと発表した。病院長は「医師・部門間の情報共有ができていなかった申し訳ない」と述べ、謝罪した。ここまでが上の句、続けて「徹底的に原因を追究して・・」最後に「再発防止に努めて参りたい」で締める。これ定型文ね。

 

    それにしてもCT画像を読影した医師の画像診断書を確認しないまま外科医が手術するとはね。これでは「ワタシ・シッパイ・シナイノデ!!」とハッキリモノをいうドクターXに診てもらうしかない。その後、患者は別の病院を受診したが、がんが進行していて外科手術が難しく緩和ケアを受けた後に死亡した。

 

  「自分の命は自分で守る」を口癖にしている御大!「これじゃ守りようがございません」厚労省は来年度以降、医療費削減のため全国の病院に対して急性期患者の病床を大幅に減らすという。前門の虎に後門の狼