Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

互譲の精神

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   トレランとはトレイル・ランニングの略。以前にもこれをテーマに掲載したことがある。そう山道を疾走するスポーツ。だが近年事故が多発し大会中に行方不明になった人もいる。そういう意味ではこのトレランはジョギングやランニングの延長ではないことを自覚していただきたい。

 

 先日の山梨日日新聞の報道によると、10月28日午後に身延町の中之倉峠で行われたトレラン大会で男女2人が行方不明となり翌日までに無事保護されたと記事は伝えている。

 

    ランニングと違いトレランは細い登山道を走る。当然、カーブも多いから視野も狭くなる。だから、簡単に人とぶつかってしまう。登山者同市では先行する登山者を追い抜く時は、「失礼!」「すみません」と一声かけて追い越す。でもこのトレイルランナーは、身勝手な人が多くレースを意識しながらタイムを設定。そのため猛スピードで登山者やハイカーの横を走り抜けていく。似たような話で、一時、皇居ランナーの危険性も指摘され問題となった。また、鎌倉市でも条例で規制強化が検討されたことがあった。ランナーが子供やお年寄りの歩行者と衝突すれば大けがをするし、場合によっては傷害罪が適用されるかもしれない。

 

 その昔、海外研修で渡米した時、ツアーコンダクターにアメリカ国内でしてはいけないことを2点指導された。一つはアメリカ料理を批判しないこと、米国ではそもそもステーキやポテト、豆料理などを自国料理としての意識が薄く、潜在的に料理コンプレックスを持っているという。もう一つはむやみに街中を走るなと言われた。そうする人間を周囲は「犯罪(逃走)者」と看做すらしく、場合によって警官に呼び止められ、その走った理由をしっかりと聴取されると聞いた。

 

  さて、話を戻すが、トレイルランナーが勝手に心臓麻痺や滑落によって山中で独り倒れるのは一向に構わないが、それとて救急隊の救出には相当な労力やコストがかかる。そのうえ、時としてハイカーなどの赤の他人に落石事故などを被らせることもある。迷惑な話だが「貰い事故」を受ける可能性が大きいのだ。どうも最近、他人のことは構わない人種が増えている。昔から培われてきた「互譲の精神」はどこへ行ったのやら・・・・

 

(今日のおまけ)

 「人の心は秋の空」とは今更申しあげるまでもなく、人の気持ちは秋の天気のように移ろいやすい。相互に絶体的な信頼関係があれば話は別だが、一つの言葉や行動によって相手の心はすーと音も立てずに離れて行ってしまう。それに一度ねじれが生ずると、まず修復は不可能。「一度でも生理的にも厭だ!」と思うと、それまでの関係は一挙に瓦解する。結婚間近の恋人同士が別れるのも、熟年離婚もみな同じ。互譲の精神が希薄化し「だって、私(俺)のせいじゃない」と思うようになったら、赤信号に変わる寸前の黄色信号の状態にある。

 

  人の心は常に変化していくもの、ずっと同じ心でいられることは、心が成長していないともいえる。でも、心の成長のスピードは人それぞれ。自分が早く成長し過ぎると相手の心が幼稚に見えてくる。心の歩みが合わないのは至極当然の成り行き。悪いのは自分なのかもしれないと自覚することが大切だ。自戒を込めて・・・。