Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

点の記

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 明治40年当時の陸軍参謀本部測量隊の測量士柴崎芳太郎が、命を受けてそれまで未踏と言われてきた剣岳に3等三角点を建て、3等三角点網による精緻な地図を作り上げる。

 

 後に、頂上付近で錫杖と焚火の跡が見つかり奈良、平安時代に修験者が登頂していたらしいことが判明する。これは、新田次郎の小説「点の記」でも紹介されたが、後に映画化もされた。浅野忠信香川照之らが共演していた記憶があるうえ、その映画も見に行った。

 

 映像は多少心に残ったが、カメラマン上りの監督では美しさだけが浮かび上がって、ストーリー性やドキュメントタッチの迫力感に掛け肩透かしを喰らったことを鮮明に覚えている。

 

 さきごろ、NHKのドキュメンタリー番組、剣岳の「点の記」を検証する面白い番組に魅入ってしまった。所謂「はまってしまった」。山岳プロと北陸の測量会社の社長が検証するもので、当時の山案内人「宇治長次郎」が山頂に建てた4~5mの丸太の櫓を頂上まで上げられるかだ。当時の写真が残っているが、どうしても上がらない「カニの縦はい」で断念。長次郎谷(タン)からのアプローチも頂上付近が死角に入り。しばし断念。それから100年後現代技術と道具で剣の頂上には3等三角点が立つ。

 

 実測標高2,999m、当時の測量記録によれば2,958mだったとか、なんと当時の技術と現代のGPSの相違はたった40㎝足らず。先人たちの過酷な試練に立ち向かう姿と執念に舌を巻く。

 

(今日のおまけ)

  いまから10年ほど前、夜行列車「北陸」で富山から室堂に向かった。勿論、お目当ては剣岳だ。昼前から天気が怪しくなり、やっと剣澤小屋に到着。明日の天気を見てアタックする予定だったが、夜半過ぎから暴風雨、小屋のトタン屋根も吹き飛ばされかけていた。小屋の主人が明日は無理だ。強行すれば遭難と驚かされた。伯耆山岳会の方と同室で、先遣隊が剣小屋にいるという。無線で様子を聞くと、かなり厳しい状況だ。

 

 仕方なく翌日のアタックを断念。別山(剣御前)、富士の折立、雄山へと縦走。午後から天気が回復し、悠然と剣岳がその雄姿を現した。悔しい思いをしたが、もう一度、あの立山曼荼羅に描かれている「剣岳」に登りたい。生きているうちに。。。紙幅が足りないので今日はこの辺で、では。