Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ヤケに限界(連続特大号①)

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 次の句は「堪忍袋の緒が切れた」、「我慢の限界」や「ブチ切れ」だろう。幸か不幸か徳兵衛、今のところそこには至っていない。

 

 地方勤務の頃、出勤前に5㎞を走り、帰宅後も5㎞を走った。休日には20〜30㎞のロング練習と、月600㎞〜700㎞を平気でこなしていた。その甲斐あってか大会参加記録は伸びに伸び、5㎞で18分台、10㎞でも40分が切れた。そのうえ、日刊河口湖フルマラソン青梅マラソンや東京シテイ―マラソンに何回も遠征しソコソコの記録が残せ、その走姿は雑誌「ランナーズ」のグラビアも飾った。そのグラビアは今でも家にある。

 

 そんな好調さも手伝って、30年近く前女房が病弱の中、小学生の幼い長女を言い含め、「乾徳山親子登山競走」を申込み、渋々娘も参加。距離は短いものの徳和から乾徳山までの高度差は700m近くある。大人でも辛い高低差だが。娘と一緒に走った思い出は今も消えない。そして、何あろう大会優勝してしまったのである。その記録は地方紙の「山梨日日新聞」にも掲載された。我が家にとっては初の快挙だった。

 

 そらから、10数年後いくら練習を重ねても、大会に参加しても記録が伸びない。水泳を取り入れても、ウェイトトレーニングをしても一向に成績が挙がらない。自分に納得がいかず、口惜しくも辛かった。今のエリートランナーが市民マラソン大会に出場して優勝しても何の価値も認められない。今やそうした実績を残した選手の生きる道は「大会の客寄せパンダ」となって、1ショット2〜3百万円程度を稼ぐか、年に数回の講演料で生活を繋ぐしかない。

 

 徳兵衛も某ジョギングクラブや走友会の会員となった経験がある。サークルの中でもトップを走り成績を残せた会員ほど、成績が残せなくなると会に留まらず、いつの間にかフェード・アウトしていく。そんな光景を何度も見て来て、その時になって初めて走ることの意味を知る。走りながらゆっくりと自分と語り合え、自分に向き合え楽しむことができるかだ?

 

 それを知った徳兵衛も数年前から走り方も練習も大会も距離やタイムにも拘らなくなったが、持病がある身では、今では走ろうとしても、登ろうとしても体が動かない。そろそろここが限界か?

 

(今日のおまけ)

 さて、限界を感じた後が問題だ。それは次号に譲るとして、よくよく考えてみると元々、夫婦は赤の他人なのに親子となると風景が全く違う。特に経産経験のある母娘は以心伝心だ。娘の心情、感情、精神状態や体調まで母はマルっとお見通しのようだ。産後間もない娘は授乳や夜泣きで相当苛立っている。それが解らぬは父も親としてはこれが限界か。