昨日午前11過ぎママ無事退院も、赤ちゃんは黄疸症状がでて保育器に戻った。今日の午前中まで様子を見るそうだ。赤ちゃんを無理やり引き離されたママの気持ちは穏やかではなく部屋で独り涙している。だから周囲は腫れ物に触るようにそっとしている。
ようやく夕方近くになって、赤ちゃんに母乳をあげに病院に出掛け、授乳を終えたら少し気持ちが落ち着いたようだ。男には判らないが、既に娘の中には強烈な母性が芽生えている。
改めてこの世の不思議を感じる。母(メス)がいなければ子は産まれない。子はオスだろうがメスだろうが父(オス)だけでは子は産まれない。それ程メスの存在は偉大だ。「女は子を産む機械だ」と暴言を吐いた政治家がいたが、その政治家さえ母がいなければこの世に産まれてこれなかったことを胆に命ぜよと、奴を思いっきり張り飛ばしたい。久しぶりの感情移入だ。
似たような話だが、人の一生は自然に産まれて、自然にこの世を去る輪廻転生。前にも書いたが、人間の体にメスを入れるということ、それは、手術をすれば病気が治るではなく、治る見込みがあるから手術をする。でも、手術は人工治癒、自然(治癒)ではないのだから完全には元に戻らないことを覚悟して治療を受けた方が良い。
日常は普段通りに、自然体で奇をてらう必要もない。さて、今日は午後から町内会の老人クラブの忘年会。今の我が家はこんなシーンの連続だからこそ、敢えて場を盛り上げ、調子づく気にもなれない。
(今日のおまけ)
昨日の深夜TVで田中好子主演映画の「黒い雨」を観た。原作は井伏鱒二、監督は今村昌平。今思えば、三木のり平、小沢昭一、北村和夫、市原悦子、常田富士夫、大滝秀治に楠トシエ等の匆々たるキャストにも驚いたが、奥深く奥行きのある映画に真剣に原爆と戦争の恐ろしさを知らされた。セリフの中に「何で広島じゃ、東京になぜ落とさんかのう」の一言があった。
そのセリフに今も広島の人々は複雑な心境だろう。徳兵衛の娘(ママ)は広島に嫁ぎ、息子の嫁は広島から我が家に嫁いだ。不思議な御縁だ。