新たなカテゴリー「地元ネタ」のはじまり、始まり。御坂山塊、笹子峠を境に山梨県の東側を郡内地方、県都の甲府市がある西側を国中地方と呼ぶ。粉食文化は群馬県にもあって、どうやら織物に関連してるようだ。さて、県内の双方の地にも麺食文化があるが、国中では「ほうとう」、郡内では「吉田のうどん」がある。
その歴史というと、武田信玄が遠征兵の野戦食として持たせたといわれる「ほうとう」が圧倒的古く、信玄だけに軍配はこちらに上がる。
もともと、富士吉田市は富士山噴火による溶岩地盤で、水はけがよすぎて稲作、うどん粉となる小麦などの畑作や果樹栽培にも適さない。もっぱら養蚕業を生業にした機屋(ハタヤ)が多かった。いまでも「甲斐絹」と称した地場ブランド織物を何軒かの郡内繊維業者が受継いでいる。
郡内は明治時代から織物業が盛況で、昭和に入ると「ガチャ万」といって、機織機が一回ガチャというと1万札が造幣されるといった風に、それほど景気がよかった。「吉田のうどん」は、その時に県外の取引先の昼食に出したのが始まりで、彼らが土産に持ち帰ったことで一気に全国に知られるようになった。農業や果樹栽培ができない地に、先人たちは知恵を絞って「うどん」を使って、いまでも地元をアピールしている。
「放蕩親父の徳兵衛がうどんを語る」のお粗末。
(今日のおまけ)
このうどん、ブッカケが主力のため、小麦の風味を際立たせるため、捏ねる水に富士山の湧水を使っているのは事実。麺がやけにバリカタで、地元も国中でも、これをコシがあるとは云わない。塩を多めにすれば麺はいくらでも固くなる。そのことことを知らないので、県外の方々は「コシがあって美味しい」という。
そば粉は、国産、外ものとも、仕入れ値の底値がほぼほぼ決まっている。出汁の利いたそばつゆにもコストがかかるため、利ザヤは小さいが値崩れがせず商品単価は比較的高止まりしている。
うどんはというと、材料の小麦は殆ど輸入品で、仕入量に応じて単価が大きく下がり、「めんつゆ」いらずで大量販売すれば利ザヤも大きい。したがって、全国展開する業者も多く競合も激しい。「はなまるうどん」、「丸亀製麺」、「山田のうどん」がビック3だが、こうした構図や仕掛け、お宅の業界や会社にもございません?
なお、これらの業者は、「うどん県」の香川県とは関係ないことだけは、くれぐれもご承知おきを。キョウノシンサツケッカハ、アシタノココロダ!!