知り合いからの年賀欠礼状が、毎日、自宅に届けられる。こちらも早めに出しておいて良かったと安堵した。ただ、知り合いの意外の方の知らせを目にしてに驚くこともある。
今月末で、お袋が亡くなって10か月が経つ。慌ただしく葬儀を執り行い。七七日忌、初彼岸、初盆、一周忌と相済ませたが、心の中では、まだ、母の死は現実として受け入れられていない。そのためか遺品の殆どに手が付けられないでいる。一昨年亡くなった親父の時は、気にも留めず日記も含めて簡単に整理がついたのだが、母の遺品にあっては、日記は勿論のこと、晩年楽しんでいた墨絵や貼り絵、それにボケ防止のためだったのか震えるような字や数字が書かれた脳ドリル・ノートすら捨てられないでいる。
独学で学んだ洋裁が得意で、市内の老舗店のオーダー品までもを請負い仕立てていた。そのころに使っていたミシンもそのままだ。あの頃、座って懸命に仕事をしていた母の後ろが懐かしく思える。その昔、マラソン参加証の布製ゼッケンで記念品を作ってもらおうと、それを東京から田舎に送ると、アッという間に、ゼッケンを縫い合わせてガウンにし、野菜やコメなどと一緒に送り返して来てくれた。そんなことがあってか、そのガウンは未だ袖を通せないまま大切に保管してある。
80歳前後から写経や詩を書くことに傾倒し、写真のような宮澤賢治の「雨ニモマケズ」をノートに書き写していた。素直で実直なくせにミエッパリで、マケズギライのお袋が死を悟って書いたせいなのか、フレーズの一つひとつが淀みなくスーと心に入ってくる。最期が近くなると、誰もがそうした心持になれるのかは分らないが、徳兵衛、このノートの切れ端にも、毎日、陰膳を供え掌を合わせ「まだ、殺すなよ!」と祈っている。
(今日のおまけ)
徳兵衛、今は「雨ニマケ 風ニマケ 雪ニモ 冬ノ寒サニモマケ 丈夫ナ カラダデハナク 欲ダラケデ 人ニ 怒ッテバカリ イツモゴチソウヲ食ベ アラユルコトヲ タダ ジブンノコトダケカンガエ 東ニ 病人アレバ ミムキモセズ 西ニ 疲レタ母アレバ ソノスネヲカジリ 南ニ 死ニソウナ人アレバ ソレガ運命ダトイイ 北ニ ケンカヤ ソショウガアレバ モットヤレトケシカケ ミンナニ ジブンノイイトコダケ ミセテイル ソウイウジブンヲ ○○○○ヤリタイ(剣崎 克彦)」の心だ。