一昨年の10月26日は、父の立日。今年に入って後を追うように1月末に母も旅立った。その父の生誕日が昨日、悦ちゃんの命日が今日。そして18日がスギアツの一周忌。さすがの徳兵衛も38歳で逝った彼女の訃報には言葉もなかった。街角、駅や病院の待合にいると、亡くなった人とふと出会いそうな不思議な気分になる。自分自身、まだ、その死が受け入れられず、昇華できないのだろう。
徳兵衛好みの夏目雅子も太地喜和子も若くして亡くなった。夏目雅子の夫の伊集院静が紫綬褒章を受章した。夏目が彼を好いたのは彼が「鬱」という漢字を彼女の前でさらりと書いたことがキカッケだった。徳兵衛は中卒のため「バラのハナ」さえ漢字で書けない。太地は、叶わぬ恋と知りながら勘九郎との熱愛の末、伊豆で自らの命を絶ちこの世と別れた。
と、思いつつ、勝手に始めたこのブログ。家族も知らないI・R(愛人28号)との出会いもあった。昨日、お忍び日で出掛けた「みちのくのひとり旅」の情報がだだ漏れ。皆さん方は、行程や列車の座席表まで知っているらしい。帰りの新幹線乗車中、数通のメールが突然携帯に入った。「牛タン」から「笹かまぼこ」や「萩の月」まで、お土産に欲しいと入電してくる。女房も知らないひとり旅、どうしてわかるのだろうか?不思議でならない。
このブログを始めたときから、自分だけが「ひっそり」、「こっそり」や「ここばかり」と思っていてっも、外にはバレバレ。でも、そうしたスチュエーションのなかに自分の存在を確認する。
1枚の写真データのプロパテイから、撮影日時から、場所まで特定できる。それほど、この世は恐ろしい。ライン、フェースブック、ツイッターなど双方向性の強いコミュニケーションアプリは、特に要注意だ。こんなブログひとつで人柄も分ってしまう、出会いも別れも、意外とこんなところから始まるのかもしれない。
(今日のおまけ)
スマホの利用度の高い人ほど、近くの小さな画面に焦点を合わせようととして、遠くのものが見え難いらしい。その上、視野狭窄になるらしい。いまからは若者の世、足元だけを視ずに、将来に向けた広い視野をもたないと、いずれ近視ばかりの若者たちばかりとなる。徳兵衛、「そんなお前たちに日本の未来は託せない。」と。