Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

命の選別・APPK(ためおき3番の3号)

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     3年ぶりの三回目も、ピンピンコロリ(あっ!「PPK」コロリ、検索して~な!)を話題に採り上げた。PPKと逝きたいが中々そうは問屋が卸してくれない(紅)茶屋。そもそも、死は一度にやっては来ない、心臓が止まっても臓器の一部はまだ組織が生きていて、場合によっては死亡宣告後も耳は聞こえているともいう。それが証拠に死後硬直が始まるまで体温があって、口元は笑っているうえ、爪も毛髪も伸びる(アビル)YOU。

 

 今回のチャンコロウィルス蔓延で、命の選択が始まったのは事実だ。そして、後述するが老人の孤独死も増えている。その一方で介護施設で感染が拡大し亡くなられる方々も多い。それは医療機関側がトリアージしているからだ。命は皆に等しく尊いものだというのはあくまで建前と宗教的な配慮に道徳感によるもの。例えとして、嫁と母親(姑)が池で一緒に溺れた時に、貴方はどちらを先に助けるかと訊く愚問と同じなのだ。

 

 亡くなる順番は産まれながらにして決まっている。赤ん坊と百歳近くの老人の命とどちらかを救うとすれば当然答えは決まっているが如く。介護施設や老人ホームにいる老人は少なくとも介助や看護が必要な方が多い。車椅子、食事の介助や自ら排せつも出来ずに下のお世話がなければ生活できない人も多い。これに関しては、この徳兵衛も痛い程分かっている。何故ならそうした生活に限界を感じて、最終的に両親とも施設に入居させた経験があるからだ。

 

 つまり、病院に空病床があると云えども、現実的にはこうした感染患者を1名でも受け入れると、医療以前に医者や看護師だけでは手が回らないのだ。それに介護士やパートに看護学校の生徒までもの手が必要となる。だから、入院をキョヒルのだ。でもその一方で「老人は重篤化が早いので、入退居の回転が速い」とは、とある高齢施設職員の本音。ここに妙な二重構造が成り立つ。

 

 さて、介護施設、サ高住に入れない身寄りもない老人はというと、前述の通り孤独死するしかない。独居死は夏場に多いイメージがあるが、それはご勝手な想像で、年がら年中至る処で起きている。何故、夏のイメージがあるかと云うとそれは死臭の強さとハエの多さからだ。それによって近隣住民が騒ぎ出す(大島てる主宰の「事故物件情報」参照)からだ。

 

 こうしたお宅にはある特徴と予兆がある。まず、掃除が行き届かずゴミ出しも苦手なので部屋中がゴミだらけとなっていく。狭い場所で寝る空間しか確保されず、場合によってはゴミに埋もれたご遺体もあるとも聞く。それに冷蔵庫は腐りものだらけ。風呂桶、湯船トイレもゴミ捨て場だ。だが、こうなる前に奇妙にもペットボトルが増えだすという。用足しなのか飲料用なのか分からないが、ペットボトル集めに外出していることだけは確だ。

 

     ご近所の方が「たまに見かけた程度」といった証言が多いのはそのせいかもしれない。各々方、部屋の整理がつかずゴミが溜まり、ペットボトルが多くなり出したら要注意ダッセ。拙宅も子供たちは所帯をもって家を出た。残るは妻と当方のみ。明日はお部屋のお掃除をせねばナルマイとは腐らぬナベ、だしょっ。