Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

スーパー閏年

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 閏年は四年に一度やってくる。今年もその年に当たる。だから東京オリンピックも開催の予定だったハズだったのだが、ご案内の通り「下僕:Ⅽ(W)HOが発症元のコロリン禍」で、来年夏まで延期と相成った。

 

 人生の運を全て使い果たしてしまった「チケット4枚当選!!(12万円相当)」が今や風前の灯。1964年にオヤジと一緒に上京して国立競技場聖火台脇で観覧したサッカー試合。生きているうちに二度も東京でオリンピックが観覧できると喜んでいたのだが・・それも叶わず。

 

 今年の1月末を過ぎた頃から、体調の不良や不芳もあってか、五輪開催が強調されるような世論の高まりと異様な情報操作を感じた当方。寿命内限りに「こりゃもう延期どころか中止」と直感した。今次の東京オリンピックは、来年7月23日まで延期されたが、チンコロ肺炎が終息する確証、担保もなく、1年後の延期が決定された。この時点で開催中止は決定的と見た(三田)佳子。

 

 そもそも、ギリシャからの聖火到着セレモニー挨拶で松島基地を「空軍基地」と、それに「宮城県を宮崎県」と二度までも言い違え、挙句に石巻市を「イシマキシ」と自信を持って挨拶したボケ老人の森元首相の大会組織委員会長を横目に、猪瀬元都知事、朝鮮風の五輪ボランテイアコスチューム等で非難を浴びた舛添前都知事といい、裏金工作を繰り返しながら長期にわたりJOC会長に君臨した竹田のおっさんと、面子が余りに悪い。そのうえ五輪エンブレムの盗用問題然り、マラソンの札幌移転開催も然りだが、決定打は、何といっても水泳選手:池江璃花子の急性白血病発症が、この五輪開催の危うさを予見した。

 

 40年ごとにこの悪夢は繰り返されている。1940年は戦時下で東京五輪大会は中止。1980年にはソ連のアフガン侵攻で日本選手団はモスクワ大会をボイコット。そして2020年の今年、奇しくもモスクワ大会で出場が叶わなかった柔道の山下泰裕が竹田公爵の後を継いでJOC会長に就任したものの、ここに来ての疫病蔓延で今次の大会中止は確実な~のだ。

 

 何としたことか、この歴史の皮肉と呪いのオリンピック大会。日本、東京、五輪というキーワードが40年に一度「スーパーうるう年」となって、わが国に不幸をもたらす。

 

 そういえば、1964年開催の東京大会のマラソン銅メダル選手の円谷幸吉もその後、自死している。あ~あ!何ともおっかねえ「五輪ビっくり」の話だワな。