米メジャーのダルビッシュ侑が、プロアマ問わず日本のスポーツ根性論を大いに批判していた。こうした精神論は伝統的に戦前から続いていて、一億火の玉とか、勝ってくるぞと勇ましく、とかいって国民全体が竹槍をもって敵戦闘機に立ち向かった。
戦後もその根性論は根強く、運動や体育時間に水を飲んではダメだと強く云われたことを思い出す。それが今やどうだろう、熱中症や却って身体が弱ると積極的に水分補給を薦めるようになった。当時は指導者も、選手もそれが当然のことだと何の疑問もなく妄信した。科学、栄養学、医学、健康学といったものは信じられず、ことさら勝つための精神論が前面に押し出され、「根性」が勝利をもたらすものだと誰もが信じてやまなかった。
さて、旧聞に属するが、元オリンピックの体操選手のお話を聞いた。練習は想像を絶するもので、手ひらの皮や足首に、身体の皮膚は剥けるに剥けて表皮から血がしたたり落ちたそうだ。体操道具も満足いくものでもなく、男子の練習が終わった平行棒を女子用に段違い平行棒に変えて懸命に練習したという。
自らは運動能力に自信がなく、進学に、学業にと意欲を持っていたがここで「名伯楽」と出会い体操に目覚める。指導者にどう巡り会えるかによって、選手当人の意思や才能に拘りなく未来や将来、それに人生さえ大きく左右されてしまう。
その彼女、オリンピックではメダルの期待もなく、本大会では六位スタートでメダルの希望は全くなかった。段違い平行棒と平均台に臨んだ時も、選手コールをされた後は記憶もなく、着地の瞬間さえ覚えていないという。
海外評も日本人女子が体操競技で「黒目の黒髪がメダル?」。もともとオリンピック競技たるは馬術にしても、テニスやサッカーにしても欧州由来だから、アジア勢のメダル獲得なぞ想定しておらず、余程のことがなければメダルには届かないように仕掛けてある。
根性とかの精神論以上の前に人の生き死にを賭けた本当の勝負がそこにあるのだという。時あたかも大松博文監督が日本の女子バレーを世界に「東洋の魔女」と云いせしめた。キャプテンは勿論、ご当地山梨県中巨摩郡出身、県立巨摩高卒の「河西昌枝」。
そんな華やかりし頃、体操選手の彼女も団体戦で銅メダルを手にした。男子体操で小野や遠藤が騒がれるなか、その女子選手の名はナカムラ・タニコ(中村多仁子)。その彼女、酷使した身体は今はボロボロの状態で歩くことも覚束ないという。
スポーツとは選手にとっては精神論以上に命がけの戦争なのかもしれない。そこらのチャラ男のサッカー選手にも是非聞かせたい逸話だ。そして1964年大会に続いて2020年再び東京にオリンピックがやってくる。