Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

LOSS:会うは別れのはじまり

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 女房も、友達、知人、同僚も先輩たちにも、主治医と患者にも相性があるようでして・・。これが不思議なもので、気が合うから「相性がいい」というのでもありません。怒られ続けた苦手な教師でも思いが残るというのは、今考えれば相性が良かったのかもしれない。

 

 本当の意味で「馬が合う」とは、上っ面ではなく心の共鳴というか、互いに響くというかそれが、「あうん」の呼吸なのかもしれない。因みに「あうん」とは、「あっ!」とは、この世に生まれた時の第一声、そしてこの世を去る最期の時に「うんっ!」といって亡くなるのだからだそうで・・・。

 

 夫婦、上司と部下や先輩、後輩も恋人同士でもそうだが、喧嘩ばかりしていても、口争いばかりしているくせに空気が妙に馴染むというか、その相手がいなくなると不思議に淋しくなることがある。それこそが「相性がいい」ということの本質なのだろう。

 

 先日の受診結果については、後刻に譲ることにするが、准教授で当方を執刀したN医師が今春でこの病院を去るという。初診から運よくN医師にアタリ、その後は順調に治療が進んだ。いつも外来の診察は時間終了間際を予約してくれた。たっぷりと話してくれるためで、検査予約日時にも配慮戴き、その上、当方の私生活までの相談にも乗ってくれた。

 

 その先生が去るとなると、これまでのお礼もせずに失礼したこと自体が心残りだ。そしてこの先教鞭も執らないという。「渡米ですか」、「院長ですか」、「開業ですか?」と、訊くがそのどれでもないという。そしてこの大学病院には、もう二度と戻らないともいう。その一方で医者や官僚はこうした「渡り」が利くから実に羨ましいと思ったりもする。

 

 人との出会いや別れはある日突然にやってくるものだ。それは創られた運命でもなく、台本もないままに、意外な時にやってくる。「逢うは別れの始まり」と云うが、そうした覚悟をもって人と接した方が、別れた後の落胆、喪失感は少しでも和らぐ。

 

 今年の賀状で昨年、本家筋の「松本島々の名物オバチャン」が亡くなったことを知った。元気で飄々と世間や身内を評していたが。朝起きて来ないので家人が覗いたところ、寝床の中で亡くなっていたという。息子は医者だが、そのオヤジ(旦那)さんの面倒を看乍らも親父さんも若くして亡くした。今から数年前、ひょんなことで夫婦でオバちゃん宅に会いに行った。その時はまだ一人で車の運転もできた。その時が最後とはなったが、会えたこと自体、今でも本当に良かったと思っている。

 

 N医師との別れもそうだが、何か親しく、思いがあって、良くしてくれた人が去るというのは、何か自分自身が捨てられたような気分にもなる。

 

    そうした当方自身も、意に違いこれまで大切に、大事にしてきた何人かと幾つものお別れを重ねてきた。