Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

総括一年・命の砂時計(大晦日バージョン)

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 今年の思い出と云えば数々あるが、妙なことに「彩」と「茜」の双子姉妹の名前が頭から離れない。夏頃だったろうかTVの報道番組で乳がんで20代で余命1か月と宣告された「茜さん」と妹の「彩さん」の実話として紹介されていた。残された時間を有意義にと、無茶を承知で二人で日本縦断の旅に出かけるドキュメントだ。

 

 抗がん剤治療で姉の髪が抜けると妹もそれに倣って、丸刈りをし自らを同じ境遇に置く。姉を慕い愛を懸命に注ごうとする妹。仕事も辞めその時々に心血を注ぐ姿を見せられると同情と云うよりは心の裏側を掴まれたような気がして複雑な心境に陥る。

 

    ダラダラと無為に過ごしている当方も反省させられる。病気に罹らない人は恵まれているとは思わないが、お涙頂戴の浪花節もあまり好きくない。でも、このドキュメントはなぜか涙を誘う。日本縦断旅行をしながら、車イスの身となってもいつも笑顔で「旅先で出会った人達に感謝」を言える姿勢がそうした泪を誘うのだろうか?

 

    世の中には、除夜の鐘などの伝統音、園庭で遊ぶ乳幼児たちのはしゃぎ声、風や虫の音にまで異常なまでに敏感に反応するクソオタクもいれば、調味料の利用反対までもにクレームをつけたがる阿保なマヨ(ネーズ)ハラ族もいる。前者のサン(サウンド)ハラ族もそうだが。なんでん、かんでん「ハラスメント」を声高に掲げ、「異議」を唱える。そうしたハラモン(ハラスメントモンスター)連中は、戦時下はもとより、統制下、世の舞台裏、楽屋、オシ、ツンボや飯が食えない乞食の世界を身をもって味わった方がいい(←こうした表現でさえ差別だと大騒ぎ、表現の自由、偏向は許容するが偏見やヘイトは許さじとばかりに誤ったシグナルが世に蔓延している)。

 

    がんに限らず闘病も、どの世界も想像を絶する世界だ。前出の双子の姉「茜さん」はこの夏の終わりに亡くなったことを、後から知って自然とまた泣けてきた。それ以来、街行く若い女性の容姿が気にかかるよにもなった。生足に濃い口紅、化粧も、茶髪も、乳牛のよな鼻冠に耳輪に首輪、タトーウや入れ墨(医療MRIの受検不可)を見るにつけ、双子姉妹の闘病、看病する彼女らの姿と重ね合わすと、どれも、美徳というよりチンケで薄ッぺらい道化のように見えてしまう。

 

   重篤であっても、耳が聞こえなくても、目が見えなくても好きな歌手やタレントの追っかけをしたいと、人並みなりたいと思うハンデイを負った若人も多い。そうした人たちが持っている砂時計は誰にも止めることはできない。

 

    当方、いよいよ病気のせいで最近左耳がかなり遠くなって殆ど聞こえていない。他己に限らず、そうしたそれぞれの人生、夏模様も秋風も通り過ぎ、いよいよ季節は本格的な冬の到来。そんな中、往来する女性で気にかかることがある。「ストールは着けても手袋だけは絶対に身につけない女性」、「腕時計を巻かない女性」が意外と多いことだ。

 

  「あんた(徳さん)!どこ見てんのよ!」と云われそうだが、どうやら病気でも、まだメクラにならず視力だけは堅持しているようだ。

 

    そして、そんなことを他所に何事もなかったように、今年一年が暮れていく。さて、明年はどんなドキュメントが待っているのだろうか?みなさまにとって来年が佳き年でありますように祈願しております。