Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

総括一年・あれから・・。

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 あれから何年経っただろうか、今から40年以上も前、結婚してやっとの思いをして、わが夫婦も子に恵まれた。男系の多い当方の親族、親戚中が女児の誕生にもろ手を挙げて喜び、沢山のお祝も戴いた。

 

 夫婦間で子供が生まれることには特別な感情があって、子どもが生まれてもアッサリ離婚してシングルマザーで子育てする母親も多い。でも、子どもに恵まれず懸命に妊活をしても子宝に恵まれない夫婦も意外と多い。いくら努力しても治療をしても成果が上がらないとなると、そもそも結婚したこと自体が間違っていったのではと思い悩む方々も多い。

 

 原因によっては、夫婦間がギクシャクしたり、離婚に至るケースもある。この場で同性婚や子供のいない夫婦についての議論をするつもりはない。でも、どんな事情や背景があるにせよ、少なくとも自分の娘や息子に子が産まれ、孫やひ孫が出来たときにそれを嫌悪する爺婆はいないと思う。

 

 とにかく、ひと一人の命が、わざわざこの現世に命を与えられ、親の庇護の下に子も懸命に生きようとする。陣痛が始まって一日半。促進剤やバルーンによって産道を拡げても一向に産まれる気配がない。

 

    嫁の両親は、当方を置き去りにして家に戻る。病院の外は粉雪が吹きすさぶ極寒、氷点下10℃は悠に越えているだろう。病院の待合室で待てず眠りについた頃、看護婦が当方を気遣ってかそっと毛布を掛けていただいたことはしっかりと記憶に残っている。

 

   明け方、午前4時前。「おギャー!」という赤ん坊の声に目を醒ます。さきほどの看護婦が「立派な女の子ですよ!」微笑みながら分娩室からマチアイまで報告にきてくれた。そんなこ出来ごとが40年以上も前の大みそかの話だが、つい昨日のようにも思えてしまう。

 

    母となった娘も早や四十路越え。その娘も何年もかけて難儀してやっと産まれたその子も同じくこの師走の生まれ。年の暮れは何時も何とも不思議な感覚だ。時が変わるというか風が変わるというのか・・。この時期、特別の想いが当方には今でも残っている。

 

    それから、2年後当方に第二子となる男児が産まれた。新生児だけに闘病中の義父に写真だけを見せにいった。「良かったな!!」「ぐざって育てるなよ!」と笑みを浮かべた。その一言を残したまま、その年の大みそかの朝早く、おやっさん(義父)は59歳を前にして松本市内の相澤病院にて家族に看取られ旅立った。

 

   そして、その血を継いだおやっさんの孫の娘も、息子も。またその子(ひ孫)らは、命を懸命に繋いでいる。ア・リ・ガ・ト!な。