Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

夢の続き

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    10日ぶりの昨日の早朝、霧の中のお散歩は雲海にタワーが浮かぶ見事な幻想的光景だった。一方、早朝に駅で行き交うハイカーや登山客にご挨拶をしても答礼はない。山中では互礼するくせに、下界ではこの非礼に無礼。老若であれ、男女であれ、こうした連中は山に登る資格などはない。

 

    ところで、今日から12月。士、私、血、師に氏。月が明けとうとう血走る「師走」に入った。歳時記というか人の営み、一年を24節句に区切って生活や人生の節目をつける。これは日本古来からの慣習で、ご先祖様からの言い伝えや伝承だ。

 

    大和民族はその昔から五穀豊穣を願い。春、秋、農閑期の夏にお祭りを今なお続けている。農耕により民が飢えることなく「食べる」ことに難儀しなかった。そのために川の流れを変え、水路、灌漑用水路やため池を作り、田を耕し、森や山を手入れし家畜を飼った。それは、国全体での神事とういか、農事国家ならでは祀りごとであって、だからこそ天皇陛下も、公家、武士、平民や百姓までもが同じ祭事をする。今なお、皇居内で田植えや稲刈りをしたり、養蚕をするのもそうした(国家統治の)理由による。里山も田畑も皆が生活を営むために考え出した人智なのだ。

 

    ところで、月替わりだという訳ではないが、必ずしも晦日や大みそかだから人生や生活が転換するものでもない。でも、そうした時季の節目を迎えることで、何とか気分や思想や思考、生活やリズムを変えてようとしているのではないか。そんな節目が今月なのかも知れない。

 

 昨日の「ラジオ深夜便」。国営甲府放送局からの放送で俳優の柳生博が、山梨県観光大使が如く八ヶ岳の自然や移住した経緯を語っていた。彼は元々は茨城県霞ケ浦の出身で13歳の時に訪れた八ツに憧れ、俳優稼業の傍ら40歳過ぎに家族ともども大泉村に移り住んだ。

 

  この大泉村には、その昔、甲府西中学校の林間保養施設(林間学校)「青雲寮」があって、毎年度キャンプファイアーに権現岳への体験登山。それに、夜なよな彼女に恋を打ち明ける場面もあるなど、さまざまな青春の想い出がここに詰まっている。でも、湧水井戸水の水質汚染のために「青雲寮」は閉鎖処分されたが、いずれ有志で形はどうであれこの林間学校を再興するのが、当徳兵衛の夢なのだ。賛同者!だれかおらぬか?

 

  さて、先の柳生氏、「野良仕事をしながらの自然村」とのフレコミで、ことさら八ヶ岳山麓の自然や魅力を強調する。でも、これとて彼らの一族郎党が生活するため稼業で子供はおろか孫までを巻き込んで会社組織でこの村を運営している。暮らしたきゃ、独りで勝手に移住すればいいのに、結局家族全員を巻き込んでの身勝手な活動にも見える。

 

 云うまでもなく山麓里山の生活はそんな華々しいものではなく、その昔を知っている当方にとっては、甚だこうした生活スタイルは気に入らない。その上、家族や親子で会社や組織を協働した処で、上手くいった試しは殆どない。当方の身内にもそんな例があったからこそ、そのことが身に染みて判る。役者や芸人らのよそ者に、山梨を解ったようなことを言われても素直に喜べない。とはいえ、その一方で少子高齢化、人口減少の加速で山梨県内全域に限界集落、市町村が散在するのも現実で残念だ。

 

 今日は、最後に昨日のビリケンさんの夢の続きで締めたい。「顔をくしゃくしゃにしながら母が涙を流しながら『こんな子に育てたつもりはない!』と叱りながブツを裏庭で焼いた。お袋はブツの入手経緯を知っていたらしく叱られ、怒られ、叩かれた。ブツを焼き尽きたあとの灰を見ながら、お袋は力なく頭をうな垂れていた」