Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

漠とした不安と焦燥

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 その昔は、亡くなった仏さんは自宅に戻り、畳の上で家族や親せきが見守る中、かかりつけの医者が自転車を必死で漕ぎながら駆け付けて・・。家族らが囲むなか、最期は寝床の仏さんの胸に聴診器をあてて「御臨終です。」とかいって看取ったのがよくある風景だった。

 

 今やそうした光景は見られず、自宅で息を引き取ることは殆どない。天寿を全うなどと77歳(喜寿)にでもなって逝けば、みな悲しみの向こうに喜びさえ感じたのがホンネだっただろう。それが今や、生かされ、過酷な治療や医療・サ高住施設に入れられ、自身の意思もなく苦しみ抜いて卒寿を超えてやっとこの世を去る。場合によっては終の棲家だった施設が身売りをして後期高齢で追い出され路頭に迷うことだって日常茶呑み事だ。

 

 年金一つとってみても、昔は何とか生活もやっていけたが、今や年金だけでは家計も苦しく、お国も医療関連費や福祉予算まで目が届かない。若者たちは将来に漠然とした不安を覚え、子供を産むどころか結婚さえ二の足を踏んでいる。教育、文化、地域環境面でも自助、公助や共助などの美辞に「あなたの生活や命は貴方ご自身で、身の丈にあった教育と生き方と生活を・・」と、勝手に制度変更し、何処彼処でもことさら自助を強調する。

 

 今回の風水害にあっても、自助とはいえ、当方の実家の様子は全く分からず、弟や親戚、それにご近所に自宅の様子を見てきてお知らせくださいとも言えなかった。家屋が流出しているのか、雨漏り、漏水、漏電、屋根や床上下浸水、モルタルが剥離していないか、庭木は倒木していないかとの心配をよそに、それでも口に出してお願いできない。つまり、本当に自助が無理だというならば、人の好意や配慮や親切心に頼る(共助)しかないのだ。

 

 幸い、そうしたことを察してか、先の台風通過後しばらくして実弟が実家の屋内外の雨漏りや家周りをチェックし報告をくれたのには感謝、感激だ。当方が実家を相続している以上自己の責任で管理しなければならないのだが、隔地に棲んでいるとそれも叶わない。

 

 若者たちが抱く「将来不安」、お年寄りが感じる「健康、年金や福祉不安」、「独居、医療や地域に対する不安」。そして、現役世代が感じる「教育・子育て不安、住居環境や災害不安」だれもが迫りくるリスクに不安は募るばかりで、「危険が危ない」と、子供たちの将来や明日の夢をも多く語れないのが現実。

 

 でも、よくよく考えてみると、利己、快楽や快適主義が感を極めたツケが今ここに廻ってきているのかもしれない。つまり、暖炉や囲炉裏にくべ続けた薪木や炭で暖や食事を摂っていたものが、火が消えそうになると寒い、冷たいとワガママを言いだすようになった。それを回避するには薪木を冬前に用意し、ストーブや囲炉裏に燃やし続けなければ暖も食事も摂れないのは誰もが分っている筈だ。

 

   今やスマートデバイスによっての快適な室温管理や空気洗浄に照明・屋内の防犯、防火管理、少しでも寒けりゃ寒いと大騒ぎし、猛暑となれば暑い暑いと愚痴ばかりを溢す。それに、たまに来た風水害に大慌て、普段から何の備えもせず、何の我慢も出来ずに快適さだけの追求では限界点は下がる一方だ。心地よさ、便利さや快適さだけを求めて生きた今の人々は、忍耐を忘れ、本来がもつ快適さの範囲を自ら狭めているようにしか思えない。

 

  裸電球に水汲みなど、小さい頃、あんなに苦しんで堪えた耐乏生活。いつの間にかこんな贅沢な自分を作ってしまったのは自身かもしれない。もう一度「自助」の本当の意味を考えるときかもしれない。とはいえ、その前に今朝も一番から病院通いだ。