Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

教育ムラの人びと

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 文教族議員、旧文部(科学)省、日教組教育委員会、校長、教頭、学年指導に一般教員。いずれも教育指導、監督者の立場にあるがこのムラの住民は一定の身分やその範囲が保証されている教育族である。当方が幼少の砌、郵便局の局長、学校の校長先生や教師は地元でも人望がある方だった。当時、先生になるのには、最難関で大学の教育課程や実習を無事に終え卒業したとしても教員採用試験の合格率は、20~30倍の狭き門で、先生になること自体が名誉であり人格者としても周囲から尊敬されていた。

 

 ところが翻って現実はどうだろう。ブラック業種として聖職たる教員になろうとする若者は極端に少なくなり採用試験の競争倍率も危険ラインと云われる3倍を切った。そして今や国立大学教育学部に入試倍率は2倍にも満たない。なぜ、かくもこうした事態に陥ったのか考えてみたい。冒頭の一連のラインは敗戦後の教育体制にある。教育行政、労働組合日教組)、監督組織(教育委員会)、校長を頭とする教育現場、いずれのセクターにも根強い赤化(共産主義)思想が脈々と流れているのだ。その上、それぞれの現場がヒエラルキー化し、賄賂、言論封殺、隠匿や権威、権力主義がまかり通る無法地帯となってしまった。

 

 昔から、国民としての公平公正、義務教育の履行を国是に、教育現場への公権力行使(警察の介入など)、非難や批判は控えられてきた。でも、司直も、文科省も、お役所同士も、警察も、職員室も、学年(指導)主任や担任も皆同じ穴の貉だから、互いが黙認しその異常性を見て観ないふりをしてきた。前述のとおり、その昔は誰もが聖職者たる「センセイ」に接してきたが現実は荒れるに荒れている。

先の池袋の死亡交通事故でも未だ加害者逮捕されないことを見てもお分かりの通り、コネクションを使った便宜や閉鎖された学校内でその煽りを喰っているのは、事故に遭った被害者や児童や生徒たちにほかならない。

 

    つまり、今や校門の内では行政、民間企業と同じく外部の圧力や監視の目が届かず陰湿な暴力や隠蔽行為がまかり通り、学級どころか職員室の荒廃は益々エスカレートしている。こどもの「イジメ問題」の根源はこうした「コドナ(大人と子供との合の子)世界」が存在している。だから、いくら子供や教師に指導やカウンセリングしたところで事態は一向に改善しないのだ。

 

 最後に、一言申しあげたい。難関を乗り切り、成功体験しか持たない教師やエリート高級官僚(上級市民)には、失敗、挫折経験がない。順風満帆に過ごせる人生、事故もトラブルにも遭わず、椅子獲りゲームに生き残り、無難にソコソコの人生を送りながら地位や勲章とお手当(報酬)を欲しがる。

 

 クドイようだがその根底にある思想は、現場で起きている問題を露見させないようとする守旧的な組織防衛統制「ら・し・さ」だ。つまり、そこらあたりの官民組織と同じく、役所らしさ、学校らしさ、役人、教師らしさに児童や生徒らしさという偽りの名の下に、想像を絶する全体(集団)至上主義が蔓延(はびこ)っているのだ。

 

    公立学校でいじめられる児童、生徒の親には警察官、役人、教師の子供らが多いという皮肉な現実。子供に罪はないがそのことをよく理解しているのはその子供達かも知れない。