Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

人情紙風船

f:id:koushuya:20191017000113j:plain

 行きつけの店と云えば、馴染みの居酒屋やスナックに始まって、床屋、パン屋に、下駄屋に、洗濯屋に、酒屋に、肉屋や和菓子店。などといったところだろう。でもこうした店には毎日行かないので次に店に顔を出すときは、相当な日数が空くので前回からどのような動きがあったかさっぱり分からない。

 

 こうしたお店は客商売だから、ご主人もマスターもママもご愛想がいいのは当然だ。飲み屋にしても床屋にしても客あしらいに時間をかけるため、結構、プライバシー、裏話や内実話に話も弾む。すっかりご主人と心が通ったと思っている片思いは客だけだ。言葉ほど、温情や人情は深くなく実はあっさり、さっぱりしているのだ。そりゃ、客一人ひとりの私生活に話を合せていたら、溜まったものではないがそれが客商売というものだろう。

 

 先日、髪を切りに何年も通い続けた床屋に出向いたところ、貼り紙ひとつで案内やご挨拶もなく、シャッターは閉じ地元の不動産屋の「賃貸物件」と大きな看板が掲げてある。前回までそんな素振りは微塵も感じさせていなかったのに突然の閉店だ。何と無情で非情な仕打ちかと現実の光景に目を疑う。

 

 サラリーマン時代にも同じようなことがあった。人事異動、離職、転勤に退職。それに弔事に病気見舞い。その時は同僚や上司、時には役員までお出ましされて「励まし」や「期待」に「復帰」、「いずれここに・・」、「また、いつかご一緒に・・」などと、通り一偏のつまらぬご挨拶やココロばかりの餞別、弔慰金や見舞金が御当人に手渡される。

 

    これって、虚礼、儀礼、アリバイ作りや茶化しの類で、それほど、これっぽっちもお相手のお気持ちやご当人のことなど気にかけてはいないのがホンネなのだ。退院し、退職してみて、今どれほどの方々とお付き合いや交流があるかと思ったところで「人情はもともと紙風船」なのだ。連絡や手紙も年賀状の一葉も来ないのが現実なのだ。思った以上の想い入れは、お相手に一方的な好意や親愛を自分勝手に抱いているのに過ぎない。

 

   その典型が「男女の別れ」や「離婚」だ。勝手に独りで盛り上がった愛情の紙風船は脆くも、破れやすく、儚い。そして別れは予期せず向こう岸から突然にやってくる。知らぬは亭主や彼氏に彼女なのだ。

 

f:id:koushuya:20191017000237j:plain

   最後に、ネットで目にしたとある「クリーニング店」の閉店ご挨拶をご参考に掲載しておきたい。「心ある」とは何かを再び考えさせられた。「こころある人たちが少なくなったこの世は、とかく棲みにくい。」「テレビドラマの『相棒』なら、気に食わぬお相手は誰にでも替えることもできるが、生身の夫婦はそうも、いかなあ~い。」ドラマのように簡単に代役がでてくれればいいのだが・・。「一話完結の人生」ではそれも難しい。