Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

不平等と云う平等

f:id:koushuya:20190828233639j:plain

   「慌てず」、「騒がず」、「諦めず」。この三つの言葉、見下げた言葉や「エール」でもない。何がなくとも、いつの世も平等などなく不平等はアッたり前田のクラッカー。急ぎ立ち上がろうとしても深い落ち込みは急には戻らない、ここを無理して失意から這い上がろうとすると、これこそが精神的ダメージとなり、これこそが「躁うつ病」の起点になるともいわれている。

 

    人間はもともと不平等ながらにして産まれて、不公平な人生を歩む。人の顔や性格、財産、肉親が違うように、歩む道はそれぞれ違う。だから公平、公正、平等なぞこの世にもあの世にも存在しない。それらを以って人生そのものを美化し、結果、「己の不幸や不具、未婚や子供がいないことを悔やみながらも、世の中には自身よりもっと不幸な人やハンディを背負った人が大勢から貴殿もメゲないで・・・。」といった、誰でも云いそうな不徳な欺瞞の応援歌を口にすることこそが、人間の潜在的なイヤラシさしさや差別、較差意識だ。

 

    病や事故で身体が不自由になって、病棟に入院するも「なぜこの俺が、自分だけがこんな目に会わなくてはいけないのだ」と自暴自棄になっていたこの手のお話していたご当人。

 

    彼曰く、ある日、隣の小児病棟から元気そうな子供の声が聞こえ、傍と自分に返ったという。そして、そのころを思い出す度に、「さだまさし」の「第三病棟」を耳にしたという。

 

    この方のお話は、とあるラジオ番組から聞いたものをここにご披露させていただいた。彼は、フランツ・カフカにぞっこん心酔していた。そして。そのカフカが存命中に彼女と別れた時の言葉を引用して、彼はインタビューの最後をこう締めくくった。

 

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。」

「将来にむかってつまずくこと、これはできます。」

「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」・・・と。

 

    これって、ムリクリだが、昔、聴いた竹内まりあの「出口のない海」や荒井由実の「ヒコーキ雲」を連想させるような響きに良く似ている。

 

 不平等という平等は人の生きる道にはいつでも、何処にでも、誰にでもある。だから過去や自身の不幸を嘆く必要もない。そんな思いに焦る必要もなく、上手く生きるのには立ち上がらず、そのまま倒れていた方が良いとの真理をカフカは示唆しているようだ。

 

   そう考えると、これから先、無理して肩肘を張って、「グアンバッテ!!」生きていく必要もない。この一節に多少気楽な気分でこの先の生活が送れそうだ。