Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

今宵はこの歌で・・。

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  「時(トキ)遅れ」に「時代遅れ」、それに「生(行き・嫁き・逝き)遅れ」まいと、努力する毎日。深い意味はないが日課として早朝散歩をしていると、朝四時前だというのに子供の勉強部屋ならともかく居間に光々と電気が灯っている家もあれば、下着でランニングをする中年に、工事用蛍光灯棒に安全着姿のご老人。聞けば「通学路の安全確保と防犯作業だ!」という。

 

    どう聞いても完全にオカシイ!それを聴く当方もその時間から徘徊しているのは自明。内緒にしているが、いつものコンビニに立ち寄ると、野良仕事でも向かうのか何時ものオバサン、おにぎりと飲物を買って足早に軽四輪で逆方向に向かう。なんとも早朝は不思議な光景ばかりだ。

 

 昨日、お誕生日をお迎えのTK、MANにSEさんおめでとうございます。反面、明後日は義母の17回忌、どうやら家内は独りで墓参に信州松本まで行くようでして・・・。ご先祖様はともかく、そうして故人、特に両親や兄弟を偲ぶことこそに、生くる者でしか感じ得ない姿に、一種の敬服と敬愛を感じる。

 

    さて、相変わらず今日もお話はいろいろと飛ぶが、冒頭のような昼夜逆転の「トキの遅れ」はまだしも、続く頓珍漢な「時代おくれ」の私生活にも手を焼く。それに「嫁かず遅れ」に「逝かず遅れ!」も悩ましい。嫁に行きたくても行けない未婚の女性や不倫だけに走るご婦人やご主人。それに買春を繰り返す教師、警察官に医者。反面、死にたくても中々「逝かず遅れ!」の病人や介護老人。

 

    そこでもう一度、歌手:河島英吾、作詞;阿久悠に作曲:森田公一の「時代遅れ」の歌(詞)を追ってみよう、ここにこそ粗野で朴訥で「裸の人間像」が見えてくる。

 

「一日二杯の酒を飲み

さかなは特にこだわらず

 マイクが来たなら 微笑んで

十八番(おはこ)を一つ 歌うだけ」

 

「妻には涙を見せないで

子供に愚痴をきかせずに

男の嘆きは ほろ酔いで

酒場の隅に置いて行く」

 

「目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは 無理をせず

人の心を見つめつづける

時代おくれの男になりたい」

 

「不器用だけれど しらけずに

純粋だけど 野暮じゃなく

上手なお酒を飲みながら

一年一度 酔っぱらう」

 

「昔の友には やさしくて

変わらぬ友と信じ込み

 あれこれ仕事もあるくせに

自分のことは後にする」

 

「ねたまぬように あせらぬように

飾った世界に流されず

好きな誰かを思いつづける

時代おくれの男になりたい」

 

「目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは 無理をせず

人の心を見つめるつづける

時代おくれの男になりたい

 

    歌詞としては間違いなく1級品だ。阿久悠の「男の美学」に対する考えに敬服するばかりだ。そうして当方の周りにも、最近こうした男らしい男が少なくなったような気がしてならない。

 

    つまり、「男(武士)は喰わねど、高楊枝」の如く食べるもの等にいちいち文句は言わずに食べられるだけでもありがたいと思わなければいけない。それに男は武士としての潔さも必要だと説いている。自己主張は控えめに、そうは言いつつ「他人と比べず己の姿で歩け!」とも聞こえてくる。それを作った阿久悠も河島英吾も今やこの世にはいない