Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

夏祭り、花火大会なう!

f:id:koushuya:20190804234633j:plain

 毎年7月の最終週末、地元自治会主催の「夏祭り」が開催される。普段は元旦の昼下がりの街並みの様子も一変した。その昔は会場の広場にも子供たちが草野球などを楽しみ弾んだ声が響いていた。それが今やこの広場で人影を見かけることもなく、たまにお会いする方はお年寄りばかりで限界町内と云っても過言ではない。

 

 小学校から子供たち全員が剣道(子供たちは皆三段の有段者)をしていたころから、当方夫婦も「剣友会」の運営に協力させていただき、露店の出店にも力を注いだ。毎年、出店物を変えるが「缶ビール、ジュース」に始まり「焼きそば」、「焼き鳥」に「ポップコーン」といったところは、地元でも有力な野球やサッカークラブが抑える。

 

    なので、剣道愛好会ともなるとマイナークラブなので余程工夫をしないと売上が伸びない。当時、山菜おこわや赤飯を売り出したが、手間暇がかかるうえ、売り上げも伸びず難儀したことがあった。この夏祭り以降役員間に不協和音が漂い、翌年の夏祭りまで気まずい雰囲気となったことを思い出す。たかがとお思いだろうが出店物一つによってこれほどギクシャクする。

 

 その思い出は、想い出として、昨晩は近隣で花火大会も催された。その昔は地元の商店街や地場の企業がスポンサーとなって、打ち上げ前にコマーシャルコマーシャルとスポンサー名がアナウンスされ「尺玉」の大きさと花火の種類と名前が案内された。それを河原土手の桟敷席からビール片手に、何故か浴衣姿に団扇といった季節アイテムを纏い花火を鑑賞したものだ。でも、その花火大会もスポンサーや大会運営費の不足から数年間、開催が見送られたことがあった。

 

 今や街の「お祭り」は少子高齢化や地元商店街の地盤沈下で神輿の担ぎ手はおろかご奉納や寄贈、心づけも少なくなり、域外からの人出に賑わっているようには見えるが実態はお淋しい限りだ。また、花火大会も同様で、コンビニや役所のカウンターに設置された募金箱の資金で何とか開催にこぎつけた。でも、打ち上げ数と開催時間はかつてほどなく、少なく短い。

 

 夏祭りの出店に出掛け、花火を観るといった昔ながらの「夏の風物詩」は今や風前の灯。折しも、「松本ぼんぼん」に毎年出かけている次男家族を除き、他の子供たち家族が大挙わが家に押し寄せて来た。花火大会もぼつぼつ終わりかと思いきや、浴衣姿に綿姉に口の周りを赤く染めながら孫たちが喜んで帰ってきた。久しぶりのわが家の賑わいだ。ドカーン!ドカーン!と夏空に打ち上げ花火の音が響き、窓ガラスが振動する。

 

   孫たちにとっては、「いい夏の思い出」だったのに違いない。寝る前に女房が一言「来年もこの花火の音が聴けるかね」と呟いたのが妙に気になった。