Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

本日の梅雨明けに退化を改心す

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 ご存知の方は少ないのであろうが、当方幼少の砌、その昔の母の実家は内湯もなければ便所も母屋にはなかった。でも、三町(丁)歩もある畑や水田を要した大農家で小作人も何人か使っていた。母屋には数えきれない部屋に馬もいて、2階は養蚕室。カイコが桑の葉を食べる音は、「シャっ、シャっ!」と階下にいても眠れないほどの音が出ていた。

 

    風呂と云えば内風呂ではなく庭先の柿の木の根元にある石窯の「五右衛門風呂」。下駄を履いて湯船の底にある「すのこ」に立って、風呂に入る。足を外したのなら大やけど。外のカマドでは、先ほどのお蚕さんの喰い干した桑の枝が焚かれ、想像を絶する熱湯に沸き上がる。それでも、野良仕事を終えた百姓にとってこの「五右衛門風呂」に入れることは至極の喜びだ。

 

 それに「便所」も庭先にあった。昔は、化学肥料などもなく、人や家畜の糞尿を肥料に米や野菜を育っていたからなんら不思議でもない。それに使い勝手が云いように畑の中には肥溜もあって、多くの地元の子供らがその肥溜に落ち、後にその臭いに困惑したこともあった。

 

 便所は今のような洗浄もなければ、和式でもない。たった日本の戸板に跨り用を足す。寝ぼけて一歩、間違えれば、落下し糞溜めの中で身体じゅうが糞まみれになる。

    さて、今日のお話は、多少論点がズレるかも知れないが、利便性、自動化や未経験は人を退化させるという類のお話。

 

 戸板を渡しただけの便所で尻穴を麦わらで拭き、やがて、それが古新聞に代わり、そして質の悪い黒い鼻紙に代わり、それが、今ではソフトタッチのトイレットペーパーに温水のウォシュレットが穴の面倒を見てくれる。

 

 昔は今ほどモノも少なく、代替、倹約や再利用と懸命に戦ったことを思い出す。チラシや広告の裏面を切ってはメモし、読み終えた新聞で尻を拭いた。ガスの代わりにカマドで煮炊きをする。まさに「体感、再利用、倹約は美徳で財産」だった。

 

 とくに白紙や鉛筆は貴重品で、地べたにチョークや石筆で字や絵を書き勉強した。それが今や百金に行けば、筆記用具は勿論のことコビー用紙や画用紙まで豊富に揃っている。いつでも手に入るものだから、こうした商品は粗雑に扱われ、平気で無駄にする。

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 昔は、チラシや広告紙の裏が白いと小さく切り刻んで、ノートやメモに再利用した。鉛筆も小刀で削った。手で掴めなくなると小さい鉛筆を抱き合わせてよく使ったものだ。だから、小刀で指を傷つけた痛みは今でも覚えている。

 

 今や筆記用具はキーボードに代わり、紙データはデスクに格納され、算盤は電卓に替わった。そして、車の運転も自動運転、これでは五感で感じる痛みや腕も向上しない。例えば組織内でペーパーレス、ペーパーレスと騒ぎ立てる人間ほど五感の退化が早い。そして今朝、駅構内でフリーマガジンの住宅情報誌と一緒に珍しく裏が白いパンフを見つけた。それを見て昔を懐かしんで、早々に脈絡のないブログをアップしてみた次第。

 

 

 追って、2019-07-22号 「甲子園球場に目指すもの」文中に記載「長野県立飯山高校誕生秘話」については、当方ブログお知り合いコーナー「信州 いいやま 悠々自適」②に、掲載(追加③)されていますので参考に供します。千曲 航(わたる)さま、早速、お調べ戴きありがとうございましたm(__)m。