Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

ギャテイ、ギャテイ、ハラソウギャワテイ、ボジソワカ・・

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 「天地同根、万事一体」、日常のリズムやテンポが戻ってくると、なんとはなく面倒なことも厭わなくなる。片割れになってしまうパートナーとの別離、家族の離散、自身や身内の事故、入院やご不幸など非日常が突然にやって来ると、周りが見えなくなり生命力というか意欲や生き甲斐を喪失してしまうのは、誰も皆、同じだろう。

 

 日常が戻って来た時、食事、入浴は勿論のこと、仕事、床屋や買い物までもパートナーに負担を掛けまいと苦労も厭わなくなる。そうなってくると自然に周囲がよく見えてくる。早朝散歩に出かけても、それまで気づかなかった夜明け前の「エドハルゼミ」の鳴き声に初夏を感じ、畑の脇に高山植物の「(ニッコウ)キスゲ」が咲いていることにも驚かされる。

 

 ラジオ番組からのインタビューもよく聞こえ、話の内容も理解もできる。散歩から戻ってEテレの法話を聴いても、「テレビ寺子屋」の講師の話を聴いても、すんなりと耳に入ってくるから不思議だ。普段どおりの「日常」が戻り、「和合」や「会話」が戻ると、これほどまでにそれまでの生活感や態様が変わる。

 

 そうなると、有難味というか感謝の念も沸き上がる。定期受診で病院の主治医から「ウチの病院で人間ドッグを受検しても、専門医の外に僕も再度、診ますから・・」と暖かい言葉も心に浸みてくる。

 

 それに、先週末の長崎・五島列島の史上とて予想しなかた線状降雨に、知り合いの福江の先輩にお見舞をすると、思いもよらぬ当方からの連絡に、先輩もことのほか喜んでくれた。こんなことが出来るのも日常生活に、少しだけ「ゆとり」と云うか、気持ち的に「余裕」が出てきたのかもしれない。そうなると、少しだけ口から食べ物が入るようになる。

 

 亡父は、自省の念からか晩年「般若心経」に傾倒し、かなり仏教も研究していた。毎朝、般若心経を唱えながら「ロコモ体操」を上半身裸になっていた。「これも修行だ!」だと云っては真冬でも乾布摩擦をしながら汗をかいていたことを思い出す。

 

 山川宗玄法曹の「一日不作、 一日不食(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)だから名のある僧侶には、一日仕事もしないようなデブ(当方とて病痩身亦同)はいない。法上さまの説得力ある仏門の世界やお言葉に思わず仏壇に向かって「般若心経」を唱えた。

 

  仏説摩訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減・・・・。 即説呪曰。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ギャテイ、ギャテイ・・、ボジソワカ、ハンニャ・シンギョウ)」と・・。