Koushuyaの徒然日記・オフィシャルブログ

多くの方々からブログ再開のご要望をいただき、甲州屋徳兵衛ここに再び見参。さてさて、今後どのような展開になりますやら。。

虐殺、屠殺、食肉加工(閲覧注意)。

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    屠殺については、子供の頃、田舎でニワトリをしめていたことを思い出す。玄関先で当たり前のようにブタなぞ解体するのは、魚をさばくのと一緒だった。

 

    今や屠殺場といった言葉は、差別用語となるので、「食肉加工センター」などの響きのいい言葉に変えている。でも、その現場は昔から少しも変わっていない。生きた豚が豚肉なることを想像して欲しい。それを目の当たりにすれば牛肉、鶏肉だ、豚肉なども口にはできないはずだ。

 

   それほど人間とは傲慢で身勝手なのだ。動物愛護を主張する人間が肉を食わないかと云うとそうではなく、エグくも、キモくも平気で鶏や豚肉を口にしながら動物愛護を謳っている。

 

    北鮮でも中国でも、野良ネコや野良犬、それに野鳩も目にしない。みんな食用として喰っちまうからだ。ここで、少しだけ屠殺の現場をお伝えしたい。豚の場合は数が多いため本当に流れ作業そのものだ。豚の待機場と処理場はベルトコンベヤーでつながり、豚はその間に体が挟まるようにして運ばれ、消毒液のシャワーを浴び、終点のところになると頭部だけを突き出すような状態で、耳の後ろにある延髄へ高電圧のショックを与えられ、そのままの流れ作業で、袈裟切りで頭部と動脈を切断される。

 

    そして腹部を切開する、内臓と筋肉が切り離され、内臓を別のベルトコンベアにのせ、胴体の足にフックをかける、逆さに(枝肉に)して血抜きをする。鶏、魚も獣も家畜もそうだが血抜きを早くしないと臭みがでて、腐敗が進み商品価値は下がり、喰えないからだ。

 

 電気ショックを与える部門では殺されることが判るのか、豚は必死に抵抗する。しかも内臓を切り離しているときも豚の内臓や体はいつまでも痙攣している。韓国の犬鍋の話はよく訊くが、人肉を除いて「肉食」は文化であり、タブーはない。それほど人間は非情で惨い。

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    これが豚ではなく牛や馬となると、頭にマスクをかぶせ眉間にノッキングペンと呼ばれるピストル状の器具で打って瞬時に倒してから加工処理に入る。頭切り→前肢切除→後ろ足切除→臀部剥皮→恥骨割り→頭落とし・舌割り→腹部・わき腹剥皮→胸骨剥皮→ハイドプーラー→前処理・仕上げ→ハイドストリッパー→胸割り→内臓摘出→背割り→荒水洗い→枝肉掛け換えの手順で作業が順次進められる。これに毎日従事している労働者の姿を思い浮かべて欲しい。

 

 家畜のそれぞれ大きさや重さ、形、皮の厚さ、すべてが微妙に異なるわけだから、完全に脱人間化しないとこんな所業はできない。なぜ、こんなお話をしたかというと、先日「ラジオ深夜便」で、慶大卒の荻澤紀子なる牛肉卸、(株)東京宝山代表の話を聴いたからだ。 

 

    彼女曰く、牛が好きで、好きで仕方がないそうだ。自分の居場所を「牛といるか、枝肉といるか、(牛を)食べているか」と笑って、語っていた。

 

   男性以上に畜生以上人間の女性は、かくも無情で惨い生き物なのかも知れないと思った